『電車のなかで本を読む』著者、島田潤一郎さんインタビュー。「本は思索のための道具だと思う」
文・堀越和幸 撮影・谷 尚樹
「本は思索のための道具だと思う」
ありていに言えば、本書は読書の手引きである。著者の島田潤一郎さんはいわゆる“ひとり出版社”の先がけ的な存在だ。そんな島田さんの選ぶ49冊が取り上げられ、その本に寄り添う島田さんの思いが平明な文章で綴られる。
「毎月1冊の本を紹介する、というスタイルで高知新聞社のフリーペーパーで連載を続けました。それをまとめたものがこの本です」
49冊のセレクトは多ジャンルにわたっている。文芸、思想・哲学、社会歴史学、古典、海外文学、詩……、そのアンテナの張り巡らし方にまず驚かされる。
「もともとは文芸好きなのですが、あまり専門的にならず、けれどもなるべく読んでいないものも読んでみよう、という精神で選びました」
想定する読者はマニアというよりは、むしろ普段あまり活字に縁がないような人に向けた。
「イメージしたのは、自分の生まれ故郷・高知の親戚ですとか、72歳の自分の母親ですとか」
どうしてか?
「本を読まなくても生きていける。けれども実生活の時間があって、それとは違う時間軸を持つという意味で本はやっぱり素晴らしい。“逃げ場”になる。読書習慣のない人にそのことを伝えたかった」
本に費やした時間は、無駄と呼べない。
島田さんははなから読書家というわけではなかった。本を読み始めたのは大学1年生の頃から。
「学校の勉強がつまらなくて、もっと意義のあることがしたいと」
当初は不慣れなので最後まで読み通すのに時間がかかった。
「それでも最後まで読んでみる。でも、どんな本もつまらないと断じることはできなかった。それを言うには経験が浅すぎた」
長編の小説にも果敢に手を延ばした。トルストイの『戦争と平和』、プルーストの『失われた時を求めて』……。
「読んだからといって何をどこまで理解したかは自分でもわかりません。けれどもその本に費やした時間は決して無駄と呼べないし、むしろ今の僕を支えてくれる尊い体験だったと思っています」
人はなぜ本を手に取るのか? 本書の中では、折に触れてそのことについての考察がなされる。
〈ときに、娯楽性だけを求めて読書をすることもあります。けれど、本には別の顔があります。それは、思索のための道具という顔です〉
「たとえば、政治や歴史、物理や科学……と、私たちはいろんなことに興味を持つのですが、一人で考えることができない。少なくとも僕はできない。その時に本は役に立つ。本を介して作者の言葉を通してあたかも自分が考えているかのように考えることができる」
近年は読書の幅がますます広がりつつある。
「先日は、高校の古典の参考書のコーナーに立っていました。今なら面白く読めそうな気がして」
49冊の紹介は全てが自らの体験談に彩られている。語り口は穏やかながらその熱量に圧倒される。
『クロワッサン』1099号より
広告