今日より明日はもっとおいしく。ホルトハウス房子さんの料理哲学。
「少しの手抜きで全部が崩れちゃう」という。
食べること、作ることへの思いを聞いた。
撮影・ローラン麻奈
“コツなんてないわよ。おいしいものを食べてやるぞっていつも思ってる。それだけ。”
鎌倉はすっかり初夏の陽気だ。ホルトハウス房子さんのキッチンには、海からの少し涼しい風が入ってくる。
「窓の景色を見て、何を作るか決めるのよ。緑が濃くなってきたから今日は豆ご飯にしよう、とかね。鶏肉にしっかり塩をしてパリッと焼いて、アスパラガスも添えましょう。そうね、新玉ねぎはストックで煮てスープにするのはどう? お肉に合わせて、ご飯もバターを入れて洋風にしたらいいわよ」
献立にはこだわりがある。食卓で和と洋を混ぜないのは大事なルールだ。
「献立って大切だと思う。その料理にはその料理の世界があるから。家で食べるからって適当にはしたくないの」
ホルトハウスさんが西洋料理に魅せられ、教室を開いたのは1950年代末にアメリカに暮らした影響が大きい。
「日本はまだちゃぶ台でご飯を食べていたのよ。台所だって、人を通すようなところじゃなかった。それがアメリカに行ったら、台所は奥さんたちが集まる社交場みたいだったわ。それに、家族だけでもテーブルにきちんとアイロンをかけたクロスを敷いて、磨いたナイフとフォークを並べていた。びっくりしましたね。別にお金持ちの家じゃなくても、自分たちのできる範囲でそうしていたのよ」
“100回作ってねって言うの。 あなたの料理にしてほしいから。”
幼い頃から、料理することに真剣で、やや潔癖な母親を見て育った。土のついた野菜は外ではたいて、新聞紙の上で根を切り落としてから水に浸けるように、と言っていた声を思い出すという。台所は常に清潔に、野菜の茹で方、さらし方、水切りは程よく、加減よく。
「たとえばお菓子だって、いちごの芯が口に当たったら全部が崩れちゃうっていうことってあると思うの。そういう細かさは母譲りかもしれない。戦時中育ちなのもあると思う。食べることを大切にしたいといつも思っています」
89歳の今も健啖家なのは変わらない。
「自分が食べたいものを作ればおいしくできるんじゃないかしらね。鶏のスープだって、鶏ガラというと、みんな躊躇するけれど、大変だと思わないで。充分手応えがあると思うの。鶏ガラを洗ってゆっくり煮立てて、塩入れてちょっと飲んでごらんなさい。驚くから」
レシピどおり作らなくていい、とホルトハウスさんは言う。とにかくやってみて、こっちのほうがおいしい、と自覚すること。それが分量よりも大切なことで、ひいては自分の腕になるのだ。
「今日味が足りなければ、明日入れればいい。家庭料理って今日と明日と違うから飽きないし、面白いのよ」
『クロワッサン』1091号より
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