中川一政、香月泰男、山口薫。画家・牧野伊三夫さんが自筆で綴る、3人の洋画家の魅力。
撮影・黒川ひろみ 撮影協力・真鶴町立中川一政美術館
洋画家 中川一政。禅の修行のように、同じ風景を描き続ける画業。
中川一政(なかがわかずまさ)は真鶴の画家として知られている。この半島の町で彼が描こうとしたのは、福浦という小さな漁港の風景だけであった。すでに画壇で活躍していた戦後間もない昭和二十四年(一九四九年)、五十六歳のときに、東京から真鶴にやってきた。
福浦は真鶴駅のある高台から急勾配の細い坂道を下ったところにある。訪ねていくと思っていたより小さな漁港で、まっ青な海に真夏の太陽が照り、岸壁の樹々のなかから蝉の声がきこえていた。漁網の傍で男が一人、地べたに座ってボンヤリと煙草をふかしていて、僕はその前を通り過ぎ、しばらく漁港の景色を眺めながら一政が画具を携えて歩く姿を想像してみた。
一政は漁港の突堤を「青天井の世界一広いアトリエ」と呼び、そこから見える坂道や家々のある漁村の斜面を描いた。その頃の福浦は、まだコンクリートの護岸もなく、山の緑に藁葺き屋根やバラック小屋があり、彼はその素朴な風景をとても気に入っていた。
一政は、この港から歩いて十五分ほどのところにある林のなかのアトリエから、十八年もの間ここに通って同じ景色を描きつづけた。尋常ならざる画業である。はじめの頃は漁村の人たちが珍しがってのぞきにきたが、いつも同じ景色しか描いていないので、やがて誰も見にこなくなったらしい。
画家は風景を描くとき、絵の具をのせながら、自分と対話し、色を混ぜ合わせたり、形をデフォルメしたりして、表現を追求していく。とはいえ、自分独自の画境にたどりつくのはたやすいことではない。一政は、日本の洋画家たちの先頭に立ち、突堤のうえで一体何を考えていたのだろうか。
福浦を描いた作品は、いずれも絵の具を何度も塗り重ねている。眼前の風景を描写するというより、ただ思うままに絵の具を塗りたくっているだけにも見える。それは上手く描こうとする自分の作為から逃れるために、自ら絵をつぶしていたのかもしれない。
一政は求める絵が計画的に描けるものではなく、手を動かし、自らを自然に解き放つなかで生まれるものであるということを知っていた。それは西洋絵画の理論ではなく、禅のような東洋の美意識によるものだと思う。晩年の画業に向かうにあたり、騒がしい東京を離れ、心惹かれた福浦の景色を相手に一人静かにそのことを確かめたかったのではないだろうか。
その後、描く場所を箱根の駒ケ岳に移してまた十八年。同じような構図と表現で描かれた両者は、どちらが福浦か駒ケ岳か、すぐには見分けがつかないほどである。長い時間をかけて、何度も繰り返しひとつのモティーフが描かれ、絵に熟成したような深みと圧倒的な存在感がかもし出されているが、枯れてはいない。むしろ、若々しい。
「絵に上手も下手もない。画家は、地に足をでんとつけて、ただカンバスに絵の具を塗っておれば、それでいいんだよ。そのうち、そこからなにかが見えてくる」。一政が、そう語りかけてくるようだった。
真鶴町立中川一政美術館
神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1178-1
TEL.0465・68・1128
現在、中川一政没後30年記念展を開催中。
https://nakagawamuseum.jp/
洋画家 香月泰男。郷里の三隅(みすみ)と、妻、子たちを愛した画家。
香月泰男(かづきやすお)といえば、敗戦直後のシベリアでの自らの抑留体験をもとに描いた黒い絵で世に知られている。極寒の地の強制労働で死んでいった戦友たちへの鎮魂などが込められた反戦画だ。
しかしそれらはこの画家の一面でしかなく、もともとやわらかな色彩をもった新進気鋭の画家であったことが彼の美術館へ行けばよくわかる。
そして僕が画家として香月に憧れるのは、彼が郷里である山陰の小さな三隅の町にアトリエを定めて生涯身近な暮らしをモティーフに描き、自分の妻と子を愛しつづけたことである。戦地のハイラルから家族宛に送り続けた三六一通もの絵葉書や、木片や廃材で作られた愉し気なオブジェの数々を見て心を動かされない人は、いないだろうと思う。
香月泰男美術館
山口県長門市三隅中226
TEL.0837・43・2500
https://www.city.nagato.yamaguchi.jp/kazukiyasuo/
洋画家 山口 薫。具象と抽象のはざまに漂う深い詩情。
都内の本屋で山口薫(やまぐち かおる)の素描集を見つけたときのことは、忘れられない。僕はまだ二十代で未熟だったが、自分の祖父と同じほど年の離れたこの画家の絵にひそむ詩魂に心ふるえ、ひきこまれていった。
以来、画集や図録などこの画家に関するあらゆる文献を探し求め、作品を収蔵する美術館を訪ねるようになったが、そのうちとうとう会社を辞め画家になる決心までしてしまった。
絵が詩のように人間の感情を語ることを知り、自分もこんな絵を描きたいと思ったのである。具象と抽象のはざまで、誠実に、迷い迷い絵筆をとった山口の絵には、どこか含羞を帯びたつつましやかな詩情が漂う。あれから三十年、山口が描いたつぶやきのような絵に僕はいまも魅了されつづけている。
何必館(かひつかん)・京都現代美術館
京都市東山区祇園町北側271
TEL.075・525・1311
http://www.kahitsukan.or.jp/
『クロワッサン』1054号より
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