くらし

【紫原明子のお悩み相談】姉の存在を重荷に感じています。

『家族無計画』や『りこんのこども』などの著書があるエッセイストの紫原明子さんが、読者のお悩みに答える連載。今回はお姉さんとの関係と両親の対応にモヤモヤしている女性からの相談です。

<お悩み>

一回り年上の姉との関係に悩んでいます。姉は依存心の強い人で、独身の為か頻繁に私に連絡をしてきます。先日、入院、手術をしてからそれが頻繁になり、遠回しに看病の要請や愚痴を聞かされます。何と言われても医療従事者のわたしは県外に移動できません。しかし体調が悪いと聞かされると心配ですし、愚痴を聞くと心も疲弊します。昔から体の弱い彼女に両親、特に母は甘く、成人してからも資金的にかなりの額を援助してきました。反面わたしは定年を迎えた両親からの資金援助は得られず、奨学金で国立医大を何とか卒業しました。不公平に感じることもありましたが、仕方がないと納得してきました。しかしこう頻繁に依存され、時に「頭がいいから良いよね」と嫌味を言われることが続くと辛いのです。楽しかった思い出もあるので辛いのですが、こんなやり取りをもう10数年も続けており、疲れてきてしまいました。連絡を控えたいのですが、両親は私が姉の面倒を見るのを期待しているようです。

(ぱんだ/医師をしている30代です。)

紫原明子さんの回答

ぱんださんこんにちは。お姉さんとの関係でとても苦しい状況に置かれていらっしゃるんですね。お医者さんをなさっているということで、今はただでさえ普段よりストレスも多いのではないでしょうか。そんな中でこうしてお手紙を書いてくださり、ありがとうございます。

ぱんださんのお手紙を拝見して、ご家族の中に長年続いている悪い循環をどう止めるかということを考えなければいけないと思いました。ご両親は、お姉さんを病気がちな体にしてしまった(と言っても、恐らくそこにはご両親の明らかな過失などなかったのではないかと思うのですが)という負い目があり、お姉さんを「可哀相な子」と感じていらっしゃるのでしょう。だからお姉さんの方は、可哀相な自分としてご両親に甘え、依存することで、ある意味ではご両親の気持ちに応えてこられたのでしょう。けれども「可哀相」と憐れまれる存在に押しやられることは、その人を自分より下に位置づけることなので、お姉さんはその立場に甘えれば甘えるほどご自身の尊厳を失い、傷ついて来られたかもしれません。また姉妹という親しい間柄にありながら、ぱんださんの方は「可哀相ではない子」として、ご両親に見下されないという状況を目の当たりにすることが、つい嫌味を言ってしまう一因かもしれません。とは言え、早くから経済的にも自立することを強いられてきたぱんださんにだって当然、たくさん言いたいことがあるでしょう。

病気がちなお姉さんにはこれまで、病気のせいで辛いことがたくさんあり、どうしようもない現実がたくさんあったのでしょう。けれど、だからといって現在のご家族の関わりでお姉さんが救われているかというと、必ずしもそうとは言えないように感じます。現在ぱんださんが交わされているお姉さんとの会話では、互いに鬱積した感情のごくごく表面をちぎっては相手に投げる、ということだけが行われているように思えますし、またぱんださんから見れば「かなりの額」というご両親からお姉さんへの資金援助についても、ご両親が本質的な問題解決を後回しに、とりあえずの手軽な方法を選び続けてこられた結果のようにも思えます。なおかつそれによってお姉さんが救われているわけでもないとすると、ぱんださんもご両親も、またもしかするとお姉さんも、一体なんのために本音を飲み込み、なんのために我慢を続けているのかわかりません。

ですので、将来お姉さんの面倒をぱんださんが見るかどうか、ということについてはひとまずさて置き、まずはお姉さん、ご両親ともにご健在で、しっかりとお話ができるうちに、いよいよ腹を括って、これまで長らく蓋をされていたご家族全員の心の箱の蓋をちょっとずつ開けていくという作業が必要なのではないかと私は思います。

もちろん、やみくもに「さあ話し合おう」と顔を突き合わせたってうまくいかないので、一つ提案があります。ものは試しに、ご家族で交換日記をやられてみてはいかがでしょうか。みなさんそれぞれ別々の場所にお住まいだと思うので、多少ご面倒かと思いますが、1冊のノートを都度、郵送で送り合うのが良いと思います。また交換日記には必ず、次のことを書くことにしましょう。

①書いている人の名前
②書いている日のその日の体調
③最近の出来事と、それによって感じたこと、考えたこと

そして基本的には何を書いてもよいけれど、書く際には次のルールを必ず守りましょう。

“誰かの存在や思いを決して否定しない”
※ノートの最初のページにルールを書いておくと良いと思います。

これは、実は私が運営しているもぐら会という集まりの「お話会」というイベントの内容を模したものです。月に一度開かれるお話会では、その日の体調と直近1ヶ月の出来事を、一人ずつ順番に話していきます。誰かの話に対して誰かがコメントを返すということは基本的にはなく、ただそれぞれが自分の話をするだけ。ただそれだけなんですが、いざやってみると、私たちの極めて個人的な話に、他人が根気強く、黙って耳を傾けてくれるという機会が、日常でいかに得難いかということがとてもよくわかります。

たとえばあなたが「あの人に本当にムカついた」と言ったとき、それを聞いている人が「ムカつくなんて思っちゃだめだよ」とでも言おうものなら、あなたの気持ちは「ムカついた」で止まってしまいます。でももし仮に「あの人に本当にムカついた」と言ったあとに、そこにいる人たちが何も言わず、黙ってあなたの次の言葉をじっと待っていたとしたら。もしかしたらあなたは「……でも、私にも良くないところがあったのかもしれない」と付け足したくなるかもしれません。あるいは、さらに怒りの言葉を重ねたくなるかもしれませんが、いずれにしても「ムカついた」のその先にまで、思いが展開していくのです。このように、誰かの話を最後まで黙って聞く。たったそれだけの場を用意することで、日常の何気ない会話では出てこない言葉が思いがけず漏れ出てきて、漏れ出た言葉の分だけ、思いや思考を発展させることができるのです。

特に家族のような親しい間柄の場合には、他人同士よりも遠慮がない分、相手の話を黙っていられない可能性が高いので、顔を突き合わせて話すより、一定の物理的距離を保ったまま、文章で交換日記形式にしたほうがうまくいくような気もします。なんでも知っている間柄だと思っていても、その瞬間にそれぞれの置かれている状況や、それぞれの考えていることは、案外わからないものです。そこに交換日記という“場”を用意することで、これまで本当の意味では見えていなかったそれぞれの生活や、人間性の輪郭を、徐々に描き出すことができます。また、その上で電話をしたり、LINEをしたりと、何気ないコミュニケーションを交わすことで、少なからず交換日記をやる前とは、会話の内容も変容していくのではないかと思うのです。

もちろん家族だからといって、正直に話せば何でも分かり合えるとは限りません。それぞれの心の蓋を開けたところで、やっぱり分かり合えずに終わってしまうことだってあるでしょう。そうなれば、たとえ家族であろうと、自分の心身の健やかさのためにきっぱりと線を引くことも必要です。それは決して悪いことではありません。でも、どちらに転ぶかは、まずはやってみなければ分かりません。そしてもし万が一うまくいけば、交換日記を重ねていったそのさきで、それぞれが心の奥底にがっしりと抱え込み、決して見せることのなかった本当の思いを、ふいに取り出して見せてくれる、奇跡のような瞬間が訪れるかもしれません。

相手の心の核心に触れ、自分の心の核心に触れられる。

どちらもとても勇気のいることですが、この実感が得られなければ、どれだけコミュニケーションを重ねたところで、私たちの寂しさはきっといつまでも埋まりません。病気を背負って生きてきたお姉さんも、お姉さんに負い目を抱えるご両親も、そして幼いうちから孤独にひとり耐えてきたぱんださんも。本来、家族を苦しめたいなどと思っているはずがないことは明らかです。だからこそ、その正直な思いをそのまま取り出すことができたその瞬間に、自分が最も満たされ、幸福に包まれるという実感をたった一度でも味わうことができさえすれば、きっとご家族の関係性は大きく様変わりするのではないかと、私は思います。

イラスト:わかる

紫原明子● 1982年、福岡県生まれ。個人ブログが話題になり、数々のウェブ媒体などに寄稿。2人の子と暮らすシングルマザーでもある。Twitter

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