平野レミさんの家族の物語。「いなくなっても尊敬している。今でも和田さんみたいになりたい。」
でも、外から見ても素敵だなと思う夫婦の間に必ずあるものは、お互いへの尊敬と感謝。見失わない工夫、教えてもらいました。
撮影・徳永 彩(KiKi inc.) 文・森 綾
あっと驚く発想と誰もが美味しいと思える味で、今や幅広い世代に大人気の料理愛好家・平野レミさん。早口と元気な笑顔がトレードマークだが、昨年、最愛の夫、和田誠さんが亡くなり、悲しい時期を乗り越えてきた。
「一緒にいたのは47年間。あっという間だったわ。一緒にいたことが夢のようで、夫に会いたくて、一時は夢遊病みたいになっちゃった」
独特の明るい表現にも、どこかまだ悲しみが滲む。
出会って1週間でプロポーズ。パンツ3枚だけ持って嫁入り。
二人が出会うきっかけは、当時、久米宏さんとコンビで出演していたラジオ番組を和田さんが聴いていたこと。和田さんはレミさんのしゃべりに「この人しかいない」と思い、麻雀仲間だった久米さんに紹介を頼んだ。
「ところが久米さんが『あれだけは紹介できません。一生を棒に振りますよ』なんて言ったらしく、なかなか会えなかったのね。初めてのデートはTBS会館の『ざくろ』。話が楽しくて頭のいい人だなと思った。3日連続で会って、その後、和田さんがフランク・シナトラを見にラスベガスに行っちゃった。寂しくてね。帰ってきて結婚しようと言われて、『するする!』って即答。パンツ3枚持ってお嫁に行っちゃった!」
その後、二人の結婚を知った永六輔さんが、レミさんにこう言ったとか。
「『和田さんの描く似顔絵を知ってる? 点々の配置だけでその人そっくりに描くんだよ。和田さんはそんなふうにレミちゃんの本質を見抜いたんだよ』って」
結婚しようという言葉とともに、和田さんは「レミの料理を一生のうちどれだけ食べられるかな」と付け加えた。
二人とも美味しいと思うものが同じで、食べることが大好き。和田さんは、付き合いのパーティがあっても何も食べず、家でレミさんの料理を食べたという。
「一日2食は作りました。一生だから何十万回とか作れるのかと思ったら、そうでもないのよ。なるべく違うものを作ろうとがんばりました。スキンシップという言葉があるけど、まさに美味しい気持ちでつながるベロシップね」
和田さんと築いた、家族のベロシップは脈々と受け継がれて。
出かけるときはイラスト入りでメモを残してくれたり、枯葉が落ちていると掃除してくれたり。優しい和田さんとの関係性はゆるぎないものだったが、一度だけレミさんがハッとしたことが。
「彼の事務所で暮らし始めて半年ぐらい経った頃かな。あるとき、彼のデスクの上に私が靴下を置いていたの。そうしたら『家庭のにおいのするものはここに置かないで』と静かに言われたのね。きびしい、と思いました」
それからしばらくしてつけ始めた自分の日記を最近発見した。
「『夫婦は一心同体だと思っていたけど、和田さんには和田さんの世界がある。そこには入っていけない。私もこれから自分というものをもたないといけない』って書いてあるの」
和田さんはその頃のレミさんの向上心にすぐ気づき、「この本を読むと楽しいよ」「こんなことやってみたら」と、優しくアドバイスをくれた。
「本当に和田さんには感謝しかない。なんでも美味しいと食べてくれたし。料理愛好家、という言葉も、夫のアイデア。私がこの仕事で自分をもつことができたのは、本当に夫のおかげです」
でも子育てではたった一度、喧嘩が。
「和田さんが息子を壁に向けて便器に座らせたの。私、なんだかすごく怒って実家に帰ったことがありました(笑)」
でもそれも懐かしい笑い話。今や長男の唱さん、次男の率さんはそれぞれ結婚し、孫もいる賑やかで大きな家族となった。
「樹里ちゃん(上野樹里さん)、あーちゃん(和田明日香さん)、お嫁さんたちもみんな料理が同じ味なの。あーちゃんは料理研究家だからよく一緒に料理しているけど、樹里ちゃんも上手よ。私が風邪を引いたとき、参鶏湯を作ってドアの前に置いてくれたの。ベロシップが生きていて、うれしいことよね」
二人の息子にも孫にも、どこか和田さんの面影が感じられるという。
「和田さんみたいに人に誠実で、謙虚で、物事を控えめに言う、ああいうふうになりたいと今でも私は思います。いなくなっちゃったけど尊敬しているし、どんどん好きになっていっちゃう。とっても会いたい」
亡くなっても、夫婦で、家族。愛情も尊敬も消えることはないのです。
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