くらし

【紫原明子のお悩み相談】決断力がないせいで物事がうまくいきません。

『家族無計画』や『りこんのこども』などの著書があるエッセイストの紫原明子さんが、読者のお悩みに答える連載。今回は転職、結婚に悩む女性からの相談です。

<お悩み>

自分の決断力、行動力のなさに落ち込んでしまいます。変わりたいと思っているのですが、どこから手を付けたらいいのかわかりません。 私は数年前、転職に失敗しました。今も元の職場にお世話になっていて人にも恵まれているので不満はありませんが、技術や給料がこれ以上上がることは見込めない環境です。恋愛では彼氏に結婚の意思があるのかなかなか聞けず、ずるずる付き合ったあげく別れを告げました。
しかし、これを機に彼氏も私もやっとお互いの気持ちを素直に話せるようになり、一緒にいるのが楽しいですがまだ結婚の具体的な話は私からしていません。 なんとなく「転職できなかった私」「別れを決断したのに戻ってしまう私」を許せない気持ちがあるのです。 転職も今はコロナだし……だとか理由を付けたり、結局何もかも自分の意志の弱さが悪いのだと責めてしまい、なにをどう片付けていけばいいのかわかりません。 なにか解決する糸口はないでしょうか?アドバイスよろしくお願い致します。

(たここーん/女性/45歳、独身)

紫原明子さんの回答

たここーんさんこんにちは。たここーんさんは、ご自分に決断力がないことを変えたいと思っていらっしゃるんですね。決断って、たしかに難しいですよね。決断するぞ! と思って決断すると、その後の責任もどっと自分に降り掛かって来ちゃいますからね。あとになって、成功だった、失敗だったという答え合わせタイムが発生してしまいそう。成功だったら自信もつくだろうけれど、失敗だったとなれば自信喪失、あのときああ決断しなければという後悔を余儀なくされてしまう。何が嫌って後悔って嫌ですよね。過ぎてしまった時間については一番どうにもならないわけで。

たここーんさんのお手紙を読んで改めて考えてみると、私自身はとにかく後悔をしたくないので、半ばギャンブルみたいな決断は極力しないように気をつけてきました。それは、たとえば渡る前の石橋をよーく叩くとか、決断したあとに万が一ころんだとしても、そこで役立つ杖を事前に用意しておくとか、そんなふうに、下調べを入念にやる、ということではないんですよね。いやそういうことをやっておくのも決して悪くないんですが、それをやったとしても、決断後の責任はやっぱり自分にのしかかってくるわけで。むしろ、事前にしっかり用意して決断するぞ!なんて自分に重く課した分だけ、失敗したときに余計に自分を責めたくなるかもしれません。ですので、事前の準備なんてものはほどほどで良いのです。じゃあ一体何をするかといいますと、“機が熟すのを待つ”のです。

たとえばマンションの老朽化が進み引っ越しを余儀なくされるとか、彼の職場が転勤を命じられるとか、はたまた今回のようなコロナとか、私達の個々の人生の周辺には、黙っていてもいつだって、ちょっとずつ自分に影響する変化が生じます。こういう外からの変化が降って湧いたときというのは、わかりやすく機が熟したときです。私達の人生というのは、どんなに自立していようと、世の中とあちこちで密接に影響し合っているので、何か一つが変わると、それ以外の部分も自ずと、元のままではいられなくなって、組み換えが必要になってきます。こんなとき、よーく耳を澄ましてみると、どこからともなく聞こえてくるはずです。
“……機は熟した……”
一方に降って湧いた外敵要因を並べてみて、もう一方には自分の失いたくないもの、手に入れたいものを並べてみる。そうすると、どう考えてもこれしか道がない、というものが新しく見えてくることがあるのです。そうすると、至って自然に決断を下すことができるし、状況的に自然だと思う形で決断できればそれは全くギャンブルではなく、いかなる結果が待ち受けようと、あの状況では不可避な決断だったと言うよりほかなくなる。正解、不正解など関係なく、しのごの言わずに受け入れるしかなくなります。

また、同じように決断を促す外的要因に、もう少しわかりにくいものもあります。例えば、……そうですね。朝、出社しようと家を出ると、たここーんさんの目の前に男物のパンツが落ちていたとします。上の階の人が落としたのかな、風で飛ばされてきたのかな。などとこの不可解な状況の謎解きをしようとしますよね。このとき、謎解きをするだけでなくぜひ、この状況が自分になにかメッセージを伝えようとしている、と考えてみてください。一体、何を伝えようとしていると思いますか??

ヤバい話になってきたぞ、とどうか身構えずに聞いてください。私は信仰を持たず、神様仏様といえば観光目当てに神社参拝するか、クリスマスにケーキを食べるか程度の不信心者ですが、一方で身の回りで起きるさまざまな出来事が、自分にどんなメッセージを伝えようとしているのか、自分にとって何を意味しているのか、というようなことは昔からずっと考えてきました。
実はまさに今日も、なんとなく引っ越しもいいな、と思い立ち、物件情報をネットで漁っていると、偶然にもとても好みの家が、とても良心的な価格で見つかったんです。で、「これは引っ越す機が熟したか?!」と思ったのもつかの間、直後にその家はすでに借り主が決まっていたことが判明。落胆しつつ、でも「きっとまだ今の家でやるべきことが残っているのだろうな」と思いました。
「きっとここよりいいところが見つかるだろう」ではなく「まだ今の家にやるべきことがあるのだろう」と思ったんです。思ってから、「へえ、私はそんなふうに思うのか」と少し驚きました。

自分の外側の出来事に自分が見出す意味には、いつもこんな風に、どこか自分のものであって自分のものでないような新鮮さがあります。単に自分が怠惰だから決めない、だらしがないからやれないというだけではない、新しい可能性を示してくれたりもします。こうやって、それだけなら取るに足らない「状況」に、意味を見出すことにより、ぐっと自分に引き寄せて捉える。「状況」を見る解像度を高めていく。そうすると、ただなにもしないでいるよりかははるかに精度良く、いざ機が熟すタイミングを察知できると思うんです。

機が熟す、って、どこか他力本願に聞こえますか? でも、そもそも「自分で決める」の自分って、果たしてどこまでを指すんでしょう。自分の頭の中だけが自分でしょうか。自分の思考に入り込んで、直接的、間接的に影響を及ぼすあれやこれは、果たして自分とは言えないのでしょうか?

どうかまずは肩の力を抜いて。自分だけで考える、自分だけで決める、と頑なに自分の内側に閉じこもろうとせず、外の世界に耳を傾けながら、機が熟すのを待ってみてはいかがでしょうか。いついかなるときも、自分は世の中と繋がり、世の中の影響を受けているのだと認めましょう。たここーんさんの周りで起きているさまざまなことはきっと、気づかなかっただけで、たここーんさんにたくさんのメッセージを伝えようとしているはずです。今目の前で起きていることの意味をたえず自分に問いかける中で、きっとごく自然な形で“今こそ決めるべきときだ”と思える瞬間が来るはず。私はそんな風に思うのです。

イラスト:わかる

紫原明子● 1982年、福岡県生まれ。個人ブログが話題になり、数々のウェブ媒体などに寄稿。2人の子と暮らすシングルマザーでもある。Twitter

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