【紫原明子のお悩み相談】圧倒的に人間らしい経験が持てません。 | くらしにいいこと | クロワッサン オンライン
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【紫原明子のお悩み相談】圧倒的に人間らしい経験が持てません。

『家族無計画』や『りこんのこども』などの著書があるエッセイストの紫原明子さんが読者のお悩みに答える連載。あなたもお悩みを投稿してみませんか?

<お悩み>
はじめまして。紫原さんの書かれる文章がとても好きで相談させていただきます。

不惑を過ぎて早4年。人生順風満帆とは言えないものの、華やかな業界での正社員の職を得て、万年係長の立場がこのまま続けば御の字、という日々を過ごしています。 幼少期に「結婚は女の人にとって不利な制度なのだな」と強烈に思い込み、結婚はおろか、男性すら信じることができないままこの年齢になってしまいましたので、もはや自分の家族を持つことは難しい状況です。

改めて「自分の家族(こども)を持てない」という事実を目の当たりにして思うのは、「圧倒的に人間らしい経験が持てない」ということへの残念さです。

 そうでなくても、今まで人間らしい活動が全くできていません。結果や成功につながる選択ばかりしてきたし、そういう選択をせざるを得ないほど追い詰められていました。 なぜ私が紫原さんのお書きになる文章が好きなのか、それは「あぁ、この人はきっと豊かな人間活動をしてこられたのだろうな」と感じるからです。

 今からでも人間らしい活動がしたいのですが、何しろ大変臆病な性質です。 この臆病さや、短絡的に結果ばかり求めてしまうあさはかさを乗り越えて、人間らしい活動をしたいと渇望しているのですが、はて?どうしたものやら?と途方に暮れるばかりです。何かヒントをいただけたら、たいへんうれしく思います。
(相談者:おひさま/先日44歳になったばかりの会社員です。万年係長の未来が見えてきた今日このごろ。正社員でいられるだけありがたいと思う毎日です。独身。)

紫原明子さんの回答

おひさまさんこんにちは。

とても素敵なお手紙をありがとうございました。正直なところ、なんだか素敵な物語の序章を読ませていただいているようでした。この先には、絶対にワクワクするような展開が待っている、そうとしか思えないような、序章です。

“今まで人間らしい活動が全くできていません。結果や成功につながる選択ばかりしてきたし、そういう選択をせざるを得ないほど追い詰められていました。”

私は特にこの部分、おひさまさんの人生観や人柄が表れているように感じて、素敵だなあと思ったんです。

当たり前のことではありますが、世の中には自分でどうにかできることと、自分ではどうしようもないことの二つがあって、今の自分を取り巻く現状というのはその両方によって導かれた結果なんですよね。だけども、自分の努力次第ですべて、たとえ運さえも、どうにかなる、と思いたい人が世の中には結構たくさんいます。なぜそう思ってしまうのかと考えてみると、その人たちにとってはそれが、生を存続させていく上で欠かせない希望の糸、信仰だからなのだろうと思います。人生はすべて自分の手で操縦可能である、そう盲信しなければ、怖くて生きていけないから。どんなに頑張っても、どんなに正直者でいても、不公正で、不条理な出来事が、いつ自分の身にふりかかるとも知れない、そんな現実を受け止めるのはしんどいからです。

こんな風に、自分次第でどうにでもなるという信仰は、本当はそこにいつもある恐怖を見えなくさせてくれるけれど、一方で、本当はそこにいつもあったけれど、幸いにも見えずにいただけのグロテスクな現実がふとしたきっかけで表出した場合、やはりそれもまたその人の責任にしてしまう、そんな諸刃の剣でもあります。

特にがんばりやさんが世の中のどうにもならないことをそうと受け入れられるようになるまでには、挫折やとても苦しい葛藤の末に、絶望して、再起するというたいへんなプロセスが必要です。

おひさまさんは、現状に残念さや、物足りなさがあることを認め、そこに自分の選択が当然起因していることを認めつつも、同時に過去の自分が抗えない状況にあったことも理解されていらっしゃる。ここには書かれていないけれど、きっと、もうずいぶん悩み、葛藤し、たくさんのことを考えてこられたのではないでしょうか。

人間らしい経験が持てないとおっしゃるけれど、おひさまさんがこれまでのご自身を見つめる眼差しや、こうして今、新しい自分に手を伸ばそうとされる覚悟。少なくとも、お手紙からうかがい知るおひさまさんは、人生に誠実で、つい応援したくなる、とっても魅力的な物語の主人公です。

自分の外側にある、抗えない力の存在を認めることは、本当の意味で自分を許すことです。自分を許すって、他人を許すよりはるかに難しいことです。世の中にはまだまだ、これがうまくいかずに苦しんでいる人がたくさんいます。だから、勝手ながら私、おひさまさんにぜひそんな人たちの支えになってあげてほしいと思うんです。どうすることもできなかった自分を責めなくていい、許していいんだよと、その一言が必要な誰かに、ぜひ、声を掛けてあげてほしいなと思うんです。

そのために、新しい場所に出向いて、新しく人と出会うというのももちろん良いのですが、同時に、すでに知っている人の中にも、簡単に打ち明けられない苦しさを抱えている人が実はたくさんいるんじゃないかとも思います。みんな、誰かに自分のことを聞いてほしいし、自分の甘えを受け入れてほしい。けれど、受け入れてもらえるか不安だから先手を切ることができません。

だから、まずは手始めにおひさまさんが、自分の心の深いところにおいている考えや葛藤を、身近な人に、折を見て少しずつ打ち明けてみてはどうでしょう。先に自分の深部を開示して、その上であなたはどう? と相手にボールをパスする。返ってきた言葉を、丁寧に受け止めて、そこからまた投げ返す。こういうことを繰り返しながら、自分と他人の内面の、より深い部分に、橋をかけていく。おひさまさんが今必要と感じていらっしゃるのは、もしかしたらこういうことなのではないかと私は思いました。

もちろん、ときには相手に拒絶されたり、軽くあしらわれたりするようなこともあるかもしれません。そこで“ガーン”と落ち込んでみたり、恥ずかしさで悶絶したり、死にたくなったりするかもしれませんが、そのときはしめたものです。“そうそう、私の求めていたものはこれだった”と震え立つ快楽をもって受け止めましょう。その微妙な痛みこそ、人間活動が順調に捗っている証にほかなりません。その後もどうか思い切りボールを投げ続けてください。そうして、10球投げたうちの1球くらい、奇跡的に気持ちの良いキャッチボールが成立したら、もっとしめたものです。

すこし臆病な主人公“おひさま”の物語、第二章。
素敵な展開を、これからも客席から、楽しみにしています。

イラスト:クロワッサン編集部・どーなつ

紫原明子● 1982年、福岡県生まれ。個人ブログが話題になり、数々のウェブ媒体などに寄稿。2人の子と暮らすシングルマザーでもある。Twitter

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