「正義について考える」。ライター・瀧井朝世さんが選ぶ、今読みたい本。
撮影・黒川ひろみ(本)
どんなに微力であっても声を上げ続けること。
しかし残念なことに、この世には正義が実行されないことも多い。昨今ではアメリカで白人警官が黒人男性を死亡させた事件が起き、世界的に抗議活動が広まっている。長い年月にわたりどれだけ同じことが繰り返されるのか。アンジー・トーマスの『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』は、同じような事件を扱った小説である。
主人公はギャングが幅をきかせる黒人街で育った高校生の少女、スター。彼女はある晩、無抵抗だった幼馴染みの少年が白人警察官に射殺される現場に居合わせる。警察発表は彼を悪人と印象づけるもので、いたたまれなくなったスターは、法廷で証言することを決意する。そうすれば彼女や家族が世間から敵視されるリスクがあるにもかかわらず、だ。
黒人街の日常や貧困やドラッグの問題、無自覚なまま差別発言をする白人の友人など、現実的な問題を含みつつ丁寧に話は進む。ぞっとしたのはスターが十二歳の時に父親から、警官に呼び止められた時はとにかく言われた通りにすること、と教えられたというエピソード。少しでも逆らえばどんな目に遭うか分からない、そんな恐怖が彼らの日常には潜んでいる。
作中、人々が暴徒化する場面がある。正義が実行されない怒りに駆られた人もいれば、単に便乗しただけの輩もいる。その混乱を目の当たりにして、スターは何を感じるのか。やがて彼女が心のなかでつぶやく「決して諦めない」「決して口をつぐんだりしない」という約束は希望を感じさせるが、それがどれほど勇気の要ることか、彼女の言葉の重さを自分は理解できているだろうか、と思わずにはいられなかった。
翻って日本社会を眺めながら選びたいのは松田青子の長篇『持続可能な魂の利用』だ。現代社会で生きづらさを抱える女性たちの物語である。作中では、家父長制的、女性蔑視的な価値観を持った人々を「おじさん」と表現。このカッコつきの「おじさん」は、ある程度の年齢に達した男性とは限らない。そうした存在を一方的に責める内容ではなく、「おじさん」的価値観を自分も内在化していないか、とも考えさせられる。そうして今の世の中のありようを直視した時に浮かび上がるものを描き、後半は予想外のダイナミックな展開に。
古い価値観を打ち破るには、圧倒的な力を持つ正義のヒーローを求めるのではなく、微力な人間同士であっても、互いに力を合わせ、声を上げることが大事なのだろう。他人の価値観や自分のアイデンティティを形骸化せず、自由な魂を「持続可能」にできる社会を目指す。それがこの先の「正義」なのではないか。本を閉じた時に、そう強く感じたのだった。
(文・瀧井朝世)
『クロワッサン』1025号より