現在独り身の1人暮らし、おまけに1人っ子と“ひとり尽くし”で、
「唐突に死んだら、誰に気付かれることもなく家で腐り果てるのでは……」
と恐れ戦く碧海さん。
確かに、“孤独死”は今や深刻な社会問題の1つ。
いや、少なくとも筆者は、
「仲間や家族に囲まれた人生にしか価値はない!」
とは全く思っていませんが、
(もし自分が1人で最期を迎えるとしたら……)
と想像すると、正直良い気分ではない。
コロナ禍のこういうご時世。
正社員云々に関しては、
「新しいことに挑戦しなよ!」
などと無責任なことは、口が裂けても言えません。
その座は死守すべきだろうと思います。
ただ率直に申し上げて、相談者はもっと“目の前のこと”でジタバタした方が精神衛生上良いような気も。
単純に「放置」を回避したいのであれば方策は色々とあるのでしょうが、恐怖心や不安を完全に払拭するとなると、滝に打たれ、仏門に入るくらいしかないでしょうし、何より、将来「腐る」ことを恐れる余り、今から「腐ってしまう」というのも本末転倒かと思うのです。
相談者の文面を拝見していると、「少なくとも(年収)500万円はないといけないと“聞いている”」とか、「土日や夜勤の仕事が多く、長生きはしない“だろうな”」といった憶測が目立つ。
「親戚に早死にした人がいるが、うっかり定年後まで生き延びた場合どうすればいいのか」に至っては、もはやちょっとしたパニック状態です。
とにかく終始、“八方塞がり”だと言わんばかりですが、実際は……どの方向も塞がってさえいない。
全て、相談者の心の内で完結させてしまっているだけのことです。
先々のことに思いを馳せるのは、「建設的」と言えなくもないですが、「建設的」はあくまで“的”なだけであって、「建設」はしていないのだと肝に銘じて下さい。
いや決して、「何もしないうちから諦めてんじゃねーよ!」といった熱いメッセージをお送りしたいわけではなく、もっと自分の気を紛らわせ、誤魔化す作業をしていきましょうという話です。
孤独については、少々詳しい筆者。
中2の夏からとあるキッカケで不登校、そのまま6年間“引きこもった”ため、同世代と“ハグれて”しまい、30過ぎまで「人生が余った……」、「世間とは関係が無い人間になった」と苛まれてきました。
今とて、仕事以外の社交はゼロ。
妻子を得たことで、「腐る」可能性は減りましたが、その一方で、仕事で地方へ向かう際、飛行機に乗ったりすると、
(万が一これが墜ちたら、子供達はどうやって生きていくのだろう……)
と物騒な考えが頭を過り、
「あ゛ぁぁぁ―――!!」
と叫んでしまいそうになることがあります。
むしろ、死への恐れは増したと言えるでしょう。
そんなものです。