くらし

【紫原明子のお悩み相談】自己肯定感を持つにはどうしたらいいのでしょうか。

『家族無計画』や『りこんのこども』などの著書があるエッセイストの紫原明子さんが、読者のお悩みに答える連載。今回は部活での失敗が重荷となっている大学生からの相談です。

<お悩み>

自分に自信を持つことができず、将来が不安です。社会で生きていくためにどのように心を安定させればいいか、アドバイスを頂きたいです。

私は高校時代、部活をかなり一生懸命やっていました。部員の中で誰よりも努力していると感じていたのですが、最後の大会でチームで1番失敗し、足を引っ張ってしまいました。その日から、自分は何をやってもダメなのではないかと考えてしまいます。あれだけ努力したのに報われないのは自分が相当落ちこぼれた人間なのではないか、たった1回の挫折を何年も引きずるなんて何て心が弱いのか、という気持ちが常に心にあり、自分を疑い、責めてしまいます。

今は、社会でやっていけるかが不安でたまりません。大人が当たり前のようにこなした就活や、その先の仕事も私は乗り越えられるかわかりません。友人や家族にはこの気持ちを話すと卑屈すぎると言われるため、申し訳なくて誰にも相談できずにいます。自己肯定感を持つには、心を安定させるにはどうしたらいいか、何かお言葉を頂ければ幸いです。よろしくお願いします。

(かいろ/大学3年生です)

紫原明子さんの回答

かいろさん、こんにちは。部活での失敗が、かいろさんの心を深く傷つけてしまったんですね。誰よりも一生懸命に努力してきたのに、さぞつらく、苦しい経験でしたね。これから先再び何かに打ち込んだとしても、また同じように痛い思いをするかもしれない。最後の大会の日にかいろさんを襲った痛みの記憶が、かいろさんの中にきっとまだとても鮮明に残っているんですね。

なんとかかいろさんの痛みを取り除いて、元気にしてあげられたらと思う一方で、そんなにもかいろさんを苦しめる痛みというのは、その実、決してただの悪者ではないという風にも思うのです。むしろ見ようによっては、ほかの同世代の友人たちよりも早く、大人として知っておくべき幸福のあり方を知れるチャンスかもしれないのです。

かいろさんがご自身で十分過ぎるほど鮮烈に体験されたように、私たちの生きている世の中では、努力が必ずしも報われるとは限りません。善い行いを誰かが必ず見てくれていて、評価してくれているなんてこともありません。世の中は決して公平にできていないし、冷静に細部まで見ようとすればするほど理不尽で、辻褄の合わないなことだらけなのです。

にも関わらず、何か望まない結果が起きれば努力が足りなかった、罰があたったなどと言って、私たちは簡単に原因と結果を繋げようとしてしまいます。いわゆる“ジンクス”なんてその最たる例で、家を出るときに靴を右から履いたか左から履いたかが野球選手のその日の試合の結果を左右するはずがない。「私、雨女なんだよね」って人間ひとりのために雨が降ったりやんだりするわけがないのです。だけど、結果から原因をさかのぼって、分かった気にならずにはいられないのです。これはなぜかというと、何が起きるか分からない世の中に生きている、という現実を受け止められないからです。

2020年1月、交通事故による死者数は262人だったそうです。外を出歩くということは自分がこの262人のうちの一人になるかもしれないということです。車を運転する人なら、自分が殺人者になったかもしれない、ということです。ただ生きて生活を続ける限り、いつとんでもない状況が自分の身に降りかかるかもわからない。そんな恐怖を抱えながら生きていくことは当然とても辛いので、自分は大丈夫と、少しでも多く安心の材料がほしい。だから、自分に過剰な負担をかけるような努力を課し、自分はこれだけの犠牲を払ったのだから、と思ったり、あるいは全然脈絡もないジンクスを作ったりと、あの手この手で不安を紛らわさずにはいられないのです。

で、それだけなら健気でいじらしい人間の営みに見えますが、あまりにもこういうやり方がまかり通っているので、世の中の多くの人は最早、あらゆることがシンプルな因果関係で結ばれていると信じて疑いません。自分を不安にさせないために、所詮はハリボテの因果関係を作っているにすぎないという事実を、すっかり忘れてしまっている人がどうにも少なくないのです。

それだって、たまたま大きな事故もなく、うまくいっている間はいいのです。安心して暮らせるし、それなりの現状はすべて自分の努力や正しい選択のせいだと思えば、それを材料に自己肯定することもできます。

だけど、かいろさんもご存知の通り世の中は必ずしも優しくないので、いつ大きな挫折を味わうかわかりません。理不尽に他者から傷つけられたりするかもしれません。そうなると、自分は頑張ってきたのに、努力してきたのに、右足から靴を履いたのにと、それまで培ってきた世の中への信頼と自己肯定とが、根こそぎポッキリ折れてしまい、どうしたらいいかわからなくなってしまうのです。

もちろん、努力してもすべて無駄なんて言いたいわけはないのです。努力が実を結ぶときも当然ある。でもそれと同じかそれ以上に、物事には運や環境の要素も大いにあるので、自分の頑張りに関わらず失敗するときもある。自分がどうあろうと関係ないときというのは結構よくあるのです。そしてそう考えたら、失敗しようが成功しようが、実は結果ってそれほど大した問題ではないような気がしてきませんか?

うまくやっているように見える大人だって、本当はみんな大なり小なりさまざまな失敗をしていて、人に見えないところで、自分はもうだめだとすっかり自信を失い、それでもなんとか毎日を過ごしていたりするのです。

多くの人は、不安から自分を楽にするために「願えば叶う」みたいなシンプルなルールを盲信して生きているけれど、いざつまづいたときには、それが余計に自分の首を締めることになる。この真実を身をもって知っているかいろさんにしかできないことがあります。それは、同じような失敗をして苦しんでいる人に「それはあなたのせいじゃないよ」と言ってあげることです。

かいろさんと同じくらいの年齢の人たちは、親元を離れ、これから一人で世の中に出ていくという人たちでしょうから、かいろさんと同じくらい大きく、衝撃的な挫折を経験したことがある人はまだ少ないでしょう。だから、努力は報われる、なりたいものになれる、失敗するのはダメな人間、とまだまだシンプルなルールに則って世の中を見ている人の方が多いかもしれません。そんな彼らが今後、いざ世の中の不公平さの壁にぶつかり、自分が前提としていた信頼とすべての自信を失いかけたとき、それは必ずしもあなたのせいじゃないし、たった一つの結果があなたのすべてじゃない、と、どうか伝えてあげてください。そして同じ言葉でぜひ、たった一度失敗したご自身のことも、時間がかかっても良いので、許していってあげてほしいなと思うのです。

イラスト:わかる

紫原明子● 1982年、福岡県生まれ。個人ブログが話題になり、数々のウェブ媒体などに寄稿。2人の子と暮らすシングルマザーでもある。Twitter

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