『君が異端だった頃』著者、島田雅彦さんインタビュー。 「事実のことでも小説は書ける」
撮影・黒川ひろみ(本) 谷 尚樹(著者)
「小説というものは多かれ少なかれ私的な要素がはいるもの」
と語る、島田雅彦さんの新作は小説で綴る自分史である。
小中高、大学、そしてデビューと、〈島田雅彦〉はいかにして作られたか、これはひとりの作家を扱う重要な記録としても読める。
「嘘をつく技術を競うのがフィクションの世界だとしたら、どうだ、フィクションライターはこうして事実のことでも作品が書けるんだぞ、ということを証明したかった」
と、島田さんは不敵に笑う。
「日本には伝統的な私小説というジャンルがありますが、過去をありのままさらけ出すから、笑いがないというか、余裕がないというか、ひりつくというか……」
小説の主人公は二人称の「君」である。
「私にすると含羞や遠慮が紛れ込む。君にしたほうが自分を他人のように突き放すことができる。自分に対して、より残酷になれる」
事実に基づきながらも、そこから立ち上がってくるのはあくまでも小説の気配である、というところがまた島田さんらしい。
人文系の発展は、異端に支えられてきた。
里山の森で孤独と戯れる小学生の君は、中学生になれば映画『時計じかけのオレンジ』のアレックスにかぶれ、クラシック音楽をたしなみ、奇人と見られながらも女生徒にはよくモテる。
神奈川県立川崎高校では文芸部に席を置き、先輩・久保響子に惹かれ、埴谷雄高の(はにやゆたか)『死霊』に心酔。登場人物の首猛夫(くびたけお)をもじって首猛彦のペンネームを用い、それは大学進学後のデビュー直前まで続く。
「歴史と同じ、過去は往々にして改竄されてしまうもの。ですから、書くにあたっては裏をとりました」
とはいえ、人に聞いて回ったのではない。島田家の納戸には、かつての日記や創作ノートを詰めた段ボールが2箱眠っていた。
「勘違いもあり、それをまた検証するのが楽しかった」
大学在学中に「優しいサヨクのための嬉遊曲」でデビューを果たした島田さんは、その後6回連続で芥川賞に落選するも、酒の席で知り合う文豪たちと交流を深めながら、生身の作家とはどういうものかということを肌で知る。埴谷雄高、大岡昇平、安部公房、後藤明生、古井由吉、中上健次……。
「異端とは正当から外れることですが、人文系の発展はそうした異端の人に支えられてきたと思う」
そして作品は、“島田を殴る”と思い当たるふしもないのに恫喝してきたり、突然、滞在先のNYに押しかけてきたりと屈折した親愛の情を示す、中上健次の死をもっていったん閉じる(’92年)。
文壇との関わりのもう一方では、妻がある身の最低男による華麗なる女性遍歴も赤裸々に綴られ……。
「どんな個人情報や公文書も30年を過ぎれば時効です。が、続きを書くかどうかはわかりません。というのも、その後の狼藉のほうが書きづらいので、ふふ」
虚実を作家の笑いが飲み込んだ。
『クロワッサン』1007号より
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