【長塚圭史さんロングインタビュー】唯一の未発表戯曲が本邦初上演。新生阿佐ヶ谷スパイダースと演劇のこれから。
それからおよそ10年、戦後のカオスな日本を舞台にしたそのアナザーストーリーが、劇団化した新生阿佐ヶ谷スパイダース2作目の演目としてこの秋、上演されることに。
撮影:中島慶子
合理的なものから離脱することで見えてくる豊かさ
—一昨年、それまでプロデュースユニットだった阿佐ヶ谷スパイダースを劇団にし、1作目の『MAKOTO』は完全な現代劇でした。今回の作品は、こういうものが新生阿佐ヶ谷スパイダースだぞという感じなんでしょうか? 象徴的な作品というか指針というか。
元々あんまり道を決めたがらないんです。浮気性なので、いろんなものをやりたい。だから「こういうのでいくぞ」っていう風にならないようにやっているけど、今回の『桜姫』は劇団でしかなかなかできないような作品だなとは思います。
—それはどういう点が?
大変な点(笑)。現代劇って、何となくそれなりにできちゃう。でもこれは戦後とはいえ時代をまとっているし、時には近世江戸のニュアンスも入り込んできたりするから、やっぱり大変なんですよ。演じる側の人間もスイッチ入れなきゃいけないから大変。そういうことをするには、今の劇団で非常に良いなと思います。
“何となく”じゃなくて、“きちんと”演じるってことに向き合わなきゃいけない。荒唐無稽だけど、学ぶことも多いからね。上は50過ぎから下は20代前半がいる劇団の中でこういう作品をやって、色んな年代のいる良さが、色んな人たちがいる良さが生かされている。
—団員の方も大変そうですか?
そもそも人数が足りてないんで(笑)。みんなでたくさん役をやらなきゃいけないし、音もセットも床とかも、節約するために自分たちでどんどん作らなきゃいけない。昨日もみんなで、僕と舞台監督が中心になって、布に絵を描いていました。
劇団って何なのかというと、僕の場合は、俺は役者だから役者のパートしかやらないじゃなくて、色んな違うことが複合的に重なり合って一本のお芝居に積み上がっていくもの。関わって作っていくことで見えてくる豊かさもたくさんある。そういう、合理的なものからの離脱ですかね。
—演劇が好きでも、作り手側についてはあまり明るくない人も多いと思います。長塚さんはある意味ポピュラーな存在ですが、そんな方があくまでも劇団や舞台にこだわって続けている理由も知りたいです。
理由は……さっきも言いましたけど、だってすごくないですか? 劇場に入ったみんなの、その嘘を信じる力というか。波なんてないのに波がある、音響だけで波になっちゃう。僕らの原始的な能力がめちゃめちゃ生かされる空間だから、可能性に満ちているし……まあ演劇の良さを語ればキリがないんですけど。
そりゃ大きな空間で大きなスペクタクルを作るのは面白いですよ。エンターテインメントでもありスケールも大きくて面白い。けど、僕はやってるうちに、その大きなものを見ているとだんだん、そこに携わってる人たちの顔が見えなくなってくるんですよね。一番細かい、あのセットの端の道具を作ってる人の顔もわからない。それはある種の成功かもしれないけど、いやそうじゃないだろうと、僕はやっぱり思うんですよ。僕はたまたまスタッフの方達と非常に仲良くさせていただいて、そういう工場(こうば)で作ってる人たちの顔も見に行ったりとかできているので。
—そういうほうが好きなんですね。
好きです。みんなの顔がわかっていると、話ができる。こんなのやりたいんだよって言ったら、じゃあやってやろうかって思ってくれる。あ、騙してるってことじゃないですよ(笑)。色んなことに関わってきた人たちの顔が見えて、彼らが自分たちの枠を超えてそこに絡み合って作ったりしてると、何か得も言われぬものができてきたり。それをお客さんに見せていくことが喜びじゃないですか。
だから今の劇団では、昼はテーブル出してなるべくみんなで一緒にご飯炊いて食べてる。お手伝いさんもいっぱいいるから、そういう人たちともどんどん一緒に食べたりして、お互いの顔を知って、何やってる人なのかじわじわ素性を知って。それぞれが自分たちのことをやりながら他の仕事もして、だんだんその枠を超えていって。だから一軒の家を建てるみたいな感覚ですね。
—棟梁、家長ですね。
そう。それでやっていきたい。そりゃ大変ですよ。大変なんだけど、何が豊かな生き方かっていう。一緒に飯食うところから始めて、彼らの成長を見ながら共にものを作っていって。お互いの顔をよく知って、お互いの手触りがある世界にいて、で、自分たちの生活と舞台を作るということがちょっと近づいてくる。それがいいなって僕は思ってて。
だから、主婦や子供がいる人だと演劇の世界に携われなかったりするけれど、今回はお手伝いの人たちも、稽古場に子供連れてきて、交代で子供の面倒見ながらやってます。そういうのってもっと可能にならないのかなって。働きながら演劇に携わる方法とか。その混ぜ合わせを何とかできないかと、今年は新たに考えています。
—おお。
だから、夜はみんな家に帰って家族とご飯が食べられるようにという意味で、僕らの稽古は10時半から5時半までにしたんだけど。
—そうなんですか。今もう実際に?
はい、去年から。夜は家に帰れと(笑)。ところが今度はまた問題が生じて、仕事を持っている人は夜しか稽古できないじゃないですか。さらに土日しか来れない子はどうしようとか。僕は100人ぐらいになればいいなと思ってるんですが、100人だったらみんなの顔がわかるじゃないですか。
—それ以上だとちょっと。
うん、適性が100人ぐらい。そのために間口を広げていくと、まだまだ工夫が必要だなと今感じています。
—そのスタイルは新しいですね。あまりそういう劇団は少なそうですが。
とにかく閉じないように作っています。今回も色んなお手伝いさんがいて、仕事休んで2か月間旅行に来るみたいにこの劇団に来てくれたり。
—確かに今の話を聞いてると、私でもできるんじゃないかしらと思いますよね。
創作の一端に関わることができる、タッチすることができる。お客さんとの距離感だって近くしたい。この舞台も始まってからはプレトークで劇について話したり、バックステージツアーでは劇場の中の普段見られないものを僕も一緒になって色々と紹介したりします。
昔は僕も、楽屋のとこからパッと去っていくのがいいのかなと思ってたけど(笑)、もうそういうのはね、年取るとなくなるの。そういうんじゃねえだろうと。見にくるお客さんたちにもっと劇場に近づいて欲しい。だから劇団公演だと僕も開場中フラフラその辺りにいるし、そうするとみんな話しかけてくれたりする。なんか今はそういうほうが、本来の演劇のあり方として面白いなと。
神奈川の芸術劇場でもちょっと仕事始めてるんですが(今年4月、KAAT神奈川芸術劇場の芸術参与に就任)、そこでもどうやってお客さんたちと「どうもどうも」って言い合えるような関係を作るかという模索ですね。
—演劇界全体がそういう考え方になりつつあるんでしょうか。
知らない(笑)。でもそうなったらいいなと僕は思う。もちろん新しいお客さんの開拓は必要ですが、見に来てくれるようになったお客さんたちがまた楽しみに来てくれるような、僕らも彼らが来てくれることを楽しみにするような、そういう関係ができたらなと今は思っていて。……終わりがないですね、これ。