くらし

現世からこぼれ堕ちて行く二人… 末路にはもう泣くしかない。│ 山内マリコ「銀幕女優レトロスペクティブ」

『浮雲』。1955年公開。東宝作品。DVDあり(販売元 ・東宝)

日本映画史上屈指の名作として名高い『浮雲』。ぐずぐずの腐れ縁で結ばれてしまった男と女のメロドラマを、成瀬巳喜男監督はオペラ並みの感動作に仕上げました。

戦時中、仏印(フランス領インドシナ)で農林省のタイピストとして働く22歳のゆき子(高峰秀子)は、技師の富岡(森雅之)と恋に落ちる。「妻とは別れる」と甘言を囁かれ本気にしていたゆき子だったが、戦後に日本で再会してみれば富岡は、恋愛どころか生きる気力もないありさま。生活のため米兵の情婦になったりもしたが、やはり富岡を忘れられず、伊香保温泉へ不倫旅行。しかしそこで知り合った人妻おせい(岡田茉莉子)に富岡が手を出したことを知ったゆき子は…。

本作が公開された1955年(昭和30年)というと、力道山ブームや三種の神器に代表される、順調な戦後復興の真っ只中にあるはずの時期。なのにこの映画の中には、豊かになっていく暮らしも、国が栄えていく喜びも見当たらず、あるのは強烈な気だるさと、生きるよすがのような情欲、そして時計の針が止まった空気の淀みのみ…。デコちゃん(高峰秀子)は終始やさぐれてニコリともせず、森雅之に至ってはほとんど廃人のよう。しかし昔は、そうではなかったのです。

仏印という極楽浄土の中で夢うつつの恋愛を経験した2人は、敗戦国となった日本に居場所を見つけられないまま、どんどん時代に置いてけぼりにされます。仏印時代の思い出話をしては「昔はよかった」と懐かしむのにも飽き、恋は完全に賞味期限切れなのに、ダメ男なのは重々承知しているのに、どうしても富岡を諦められない。これは苦しい…。不幸体質な女のサガのようなものを、デコちゃんは独特の湿り気で演じきります。

終始鳴り止まない音楽による効果か、緻密なエピソードの積み重ねか、いつの間にか観客の心はとんでもない所へ連れて行かれ、ラストは滝のような涙を流すことになる。恋愛映画の極北としか言い様のない傑作です!

山内マリコ(やまうち・まりこ)●作家。短編小説&エッセイ集『あたしたちよくやってる』(幻冬舎)が発売中。

『クロワッサン』1004号より

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