体をいたわるフィトテラピーで、ケアされる人の尊厳を守る──森田敦子さん 植物療法を取り入れた介護(1)
撮影・村上未知 構成&文・殿井悠子
植物療法士の森田敦子さんには、忘れられない記憶がある。それは高校生の頃、祖母の介護の現場で目にした光景だ。認知症が進み、施設で陰部の洗浄を受ける祖母に対して、「家族は外に出てください」と告げられた。漂うにおいと慌ただしい処置。ふと見えた、脚を大きく開かれたままの祖母の姿。
「これが人の最期なのか」
ケアというよりも、どこか“処理”のように感じられた。その違和感は、長く心に残り続けた。
その後、自身の体調不良をきっかけにフランスへ渡り、フィトテラピーを学ぶ。もともとは乳がんや子宮がんのケア、再発を防ぐための免疫の整え方を研究する中で、体の変化に対して自分で手をかける「セルフケア」の重要性を知った。とくに関心を向けたのは、女性の体だった。
冷えやホルモンバランスの乱れ、言葉にしづらい違和感。そして見過ごされがちなデリケートゾーンのケア。「膣まわりを大切にすることは、自分を慈しむことそのものだと思いました」と、森田さんは振り返る。
だが、多くの女性と向き合うなかで、次第に見えてきた現実もあった。どれほどセルフケアを重ねても、支えきれない領域があるということだ。痛みや衰え、認知の変化。年齢を重ねるにつれ、自分ひとりでは整えきれない状態に入っていく。
そのとき、ケアはどうあるべきなのか。
訪問したヨーロッパの高齢者施設では、終末期にあっても人が人らしく過ごしていた。デリケートゾーンのケアも丁寧に行われ、生活の延長として自然に尊厳が守られていた。
「同じケアでも、ここまで違うとは」
その差は、単なる技術の違いではなく、人の体をどう扱うかという、根本的な姿勢の違いでもあった。
当時のフィトテラピーは、美容や健康の分野で広がっていたが、森田さんの中では次第に別の意味を持ちはじめる。むくみを和らげる、痛みを軽減する、皮膚の状態を整える。そうした作用は、高齢者のケアにこそ必要なのではないかということだ。
「なってから対処するのではなく、日々のケアとして整えていくことが大事なんです」
その思いは、やがて訪問看護という現場へと向かっていった。医療だけでは拾いきれない、生活の中の小さなゆらぎに手を差し伸べるケアを実践したい──。森田さんの取り組みは、そこから始まった。(続く)
『クロワッサン』1166号より
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