『「JUNE(ジュネ)」の時代 BLの夜明け前』著者、佐川俊彦さんインタビュー。「恋愛=男女という縛りを解く実験でした」
撮影・青木和義
「恋愛=(イコール)男女という縛りを解く実験でした」
大学のマンガ学部で講義を持つ佐川俊彦さん。今の学生は、1978年に佐川さんが創刊した雑誌『JUNE』を知っているのか。
「ほぼ知らないですね。学長だった竹宮先生のことですら、名前はもちろん知っているけれど作品は読んでいなかったりします」
〝竹宮先生〟とは言わずもがな、少女漫画界のレジェンド、竹宮惠子のこと。同じ1970年代に活躍した、萩尾望都や青池保子、木原敏江などとともに「24年組」と呼ばれる。いずれも昭和24年前後に生まれ、新しい感性の作風で日本の少女たちに大きな影響を与えた漫画家だ。そして彼女らに共通しているのがもう一つ、『JUNE』に寄稿していたということ。
「24年組はみんなSFが大好きでした。当時の日本は、これから21世紀になり科学もエンタメも進歩して面白くなるぞというムード。
女の子も進歩して、SFにも『JUNE』的な分野にも興味を持つようになった。『JUNE』は男同士の恋愛がメインの雑誌でしたが、それはつまり自由度が大きいということでもあったんです」
〈女の子を主人公にすると少女マンガ的な制約が強すぎて、描きたい本来のストーリー展開ができなかった〉と本書の竹宮惠子の言葉にあるように、当時の少女たちは男性優位の社会で何も冒険ができなかった。だから男同士の恋愛という性的な自由が繰り広げられる『JUNE』は「防空壕(シェルター)」だった、と佐川さんは回想する。少女たちの逃げ場を作っていることに使命感や重圧はなかったのだろうか。
「僕はアルバイトからの流れで創刊に関わったので、使命感は徐々に、でしたね。それよりもただ楽しくて実験的でした。『JUNE』は一応男同士としつつ、男女じゃなければ何でもよかった。要するにそれまでの“こうでなければいけない”恋愛の更新。好きになるのは異性じゃなくてもいいじゃないか。場合によっては動物でもいいしロボットでもいいと。とにかく男女でなきゃいけないという縛りを解く、そのための実験でした」
共通の話題で友情が続く、一番貢献できたのはそこかな。
さらに実験的な元祖BL雑誌としてはあまりにも文学的かつ豪華な内容だったのも、『JUNE』が熱狂的に支持された理由。それには、文具店のコピー機での増山法恵(竹宮惠子のブレーン)との偶然の出会いや、大学のサークル『ワセダミステリクラブ』繋がりから中島梓が常連執筆者になるなど、佐川さんの縁が欠かせないが、
「僕はそこに居合わせた、歴史の目撃者になれただけ。ただ、共通の話題とすることで、女の友情が、うまくいくと死ぬまで続く、あの雑誌を作って一番貢献できたのはそれかな」と振り返る。だからこそBL界隈でたびたび見かける、読者によるキャラクター解釈の違いから起きる論争には少々困惑気味。
「社会に決められた男女のルールからせっかく逃れてBLの世界にやってきたのに、内輪揉めするのは悲しいですよね」
『クロワッサン』1121号より
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