あの世と現世との境、京都・東山あたりで辿る、ふしぎな言い伝え。
撮影・福森公博 構成&文・中條裕子
【六道の辻】六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
小野篁(おののたかむら)が夜ごと冥界へ降りたと伝わる井戸。
門前の近くに建てられているのは、あの世とこの世の境を表示する「六道の辻」の石碑。ここ六道珍皇寺には文武両道に優れた平安時代初期の官僚であった、小野篁にまつわる不思議な伝説が残されている。
「小野篁は、この境内の井戸からあの世に通って閻魔大王に会いに行っていたという伝説の人物。現在も、その井戸が境内に残っています。
そして、こちらのお寺には十万億土の果てまで陰陰と響く伝説の〈迎え鐘〉があり、これが亡者をこの世に呼んでくるとされていて、唐の国まで響いたと伝わっています。
お盆にはこの鐘を鳴らし、『そろそろお戻りくださいね』と告げるんです。そうやってご先祖の霊を迎えに六道珍皇寺に参詣する、六道参りという風習が今でもあります」
これは、平安京の東の墓所であった鳥辺野(とりべの)へ至る道筋に寺が位置していることと深く関係しているという。死者を埋葬する土地へと続く、あの世と現世との境が、まさにこの辻となっている。そこに冥府への入り口があるとされるのも、故あることなのである。
【五条】松原橋(まつばらばし)
葬送の地である鳥辺野へまっすぐ向かう道。
「この松原橋のある通りが、旧五条通りで、ここからは鳥辺山が見える。まさにこの道が、あの世とこの世の境。この辺りは、江戸の怪談で有名な、牡丹灯籠の舞台となった地なのです」
中国から伝わった怪談の牡丹灯籠だが、日本語版ではここがまさに現場。
「鳥辺山から降りてきた死者の女性と荻原新之丞が結ばれるという話なのですが、出会いの場がこの松原橋の手前。地元の人が見てなるほどと納得するスポットとなっているのです」
【六道の辻】みなとや幽霊子育飴本舗
墓中で赤子を育てるため幽霊が通った飴屋。
「こちらは幽霊飴の元祖。飴の包装紙に添えられた由緒書きを見ると、死後に埋葬された墓の中で出産した赤子のために、亡き母が夜な夜な飴を買いにきた、という。飴で育った子どもの行く末はーー。
調べてみると西陣の立本寺(りゅうほんじ)というお寺の和尚さんで、通称壺上人(つぼしょうにん)と呼ばれている人でした。壺は棺桶のこと。これは架空の話ではなく、日審(にっしん)という実在の僧侶の話なのです」
夜ごと飴を買いに訪れる女を不思議に思った店主が、後を追って行き着いた先は鳥辺山の墓地だった。
これもまた、あの世とこの世の境ならではの伝説なのだ。そして、素朴な味わいの飴は、あの水木しげるさんからも愛されていたという。包装紙の由来に目を通しながら、ぜひしみじみ味わいたい。
●京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町80・1
営業時間:10時~16時 無休
京阪「清水五条」駅徒歩10分。
【東山】安井金比羅宮
三大御霊である崇徳院を祀る、すべての悪縁を断ち切る社。
京都の地に平安より根付いてきた、御霊(ごりょう)信仰。当時、非業の最期を遂げた魂が災害や疫病を引き起こす、と恐れられていた。その厄災から守っていただけるよう、神や守護霊として祀られたのが御霊であった。その代表が菅原道真、平将門と並ぶ、崇徳院(すとくいん)。
「中でも、最大の御霊は崇徳院。ここ安井金比羅宮は、その院の恋人である、阿波内侍(あわのないし)の邸宅があったところ。この100mくらい北側には崇徳天皇御廟があり、この一角が崇徳院の御霊信仰を伝える最も古いものだと思います」
崇徳院は遠流された讃岐の地にあった金刀比羅宮で、一切の欲を断ち切り籠ったという。そこから、安井金比羅宮は現在、あらゆる悪縁と切れる神社として多くの信仰を集めている。
都の北の突きあたり、深泥池にも数々の伝説が。
鳥辺野が東のあの世とこの世の境なら、北は蓮台野(れんだいの)、西は化野がそうしたエリア。そして、あともう1カ所が深泥池(みぞろがいけ)なのだという。
「京都盆地を北に進み、山に入る入り口が深泥池です。ここから先が鞍馬、貴船となっている。池の横を通る急な坂道は鞍馬街道。今の地下鉄でいえば、北山駅の近く。民間伝承では、この深泥池の辺りに鬼が出てくる穴があったといわれています。そのため、江戸時代には池の丑寅の方角の隅に、彼らが恐れる節分の豆を埋めた〈魔滅塚(まめづか)〉があったと伝わっています」
また、鞍馬山・僧正ヶ谷(そうじょうがたに)の奥には鬼の国があったとも。この池もある種の境となっているのだ。
『クロワッサン』1113号より