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【紫原明子のお悩み相談】教師ですが、明るくサバサバした人になりたいです。

『家族無計画』や『りこんのこども』などの著書があるエッセイストの紫原明子さんが読者のお悩みに答える連載。今回はもっと明るい性格になりたいと願う教員の女性からの相談です。

<お悩み>
教員をしています。今の職業では、とりわけ、明るく、サバサバした、大らかな人が求められていると感じます。
一方で、私自身は、子どもの頃から、それを求めてくる社会(特に学校)に辟易もしてきました。
小学生時代から、自分も明るくなりたいと心の底ではずっと思ってきたような気がしますが、無理をしてしまうのか、結局、自分の暗さを利用して誰かと仲良くなったり、一緒に過ごしたりすることの方が快適で、そうなっていきます。 40代になった今でも、「明るい人になりたい」と思う自分がいると同時に、「無理してるんじゃないの?役割演技なんじゃないの?」という心の声が聞こえてきます。どっちつかずで苦しいです。(相談者:イレーブ/女性/教育職についている40代です。小学生の子どもが二人います。)

紫原明子さんの回答

イレーブさん、こんにちは。
イレーブさんはご自身のことを、明るくサバサバしていない、暗い人間だと思っていらっしゃるのですね。それでも、学校では求められるままに、明るくサバサバした人間のように虚偽の振る舞いをしてしまう、と。

けれどもイレーブさんは、暗い(とご自身では思われている)ご自身のままで、ましてやその特性を利用すらして、友達を作ったり、快適に過ごしたりすることができるんですね。……素晴らしいじゃないですか。そこに一体何の問題がありましょう。
むしろ、明るくサバサバしていなくたってワンダフル・ライフを送ることができる、個性に応じた素敵な生き方があると、子どもに身を持って示せる。イレーブさんのような方が教職に就いてくださっていることに世の中の親を勝手に代表してお礼を申し上げたい気持ちです。

結構前に、子どもたちから「陽キャ」「陰キャ」という言葉を教えてもらいました。それぞれ「陽気キャラ」「陰気キャラ」の略で、イレーブさんの仰る、明るくサバサバした人というのは「陽キャ」、そうなりたいと思いつつなれない、あるいはそこにしっくり来ない人というのは「陰キャ」ということになるかと思います。

それをやって何になる、というそもそもの問いは一旦置いておいて、こういう「明るい人」と「暗い人」の分類って、いつの時代にもありました。少し前なら「リア充」(リアルが充実している人)、「非リア」(リアルが充実していない人)と言われていたような気がします。でも、こちらの分類は時代とともにしっくりこなくなってしまったのでしょう、最近あまり聞かなくなりましたね。

平成が始まって終わるまでの間に、私達のコミュニケーションの形は大きく変わりました。インターネットが一般化した結果、対面で話すことが不得意な人でも、モニター越しにテキストベースで他人と話せるようになりました。マイナーな趣味を持つ人でも、SNS で簡単に同じ趣味を持つ仲間と繋がれるようになりました。ネットの中というのは一時は「バーチャル」と言われ、実社会(=リアル)とは別のものと考えられていましたが、今となってはその境目もかなり曖昧で、若い人ほどインターネットを「リアルじゃない」とは考えません。
ネットで恋人や結婚相手を見つけるのだって、あまりにもありふれた光景になりました。つまり、教室や職場にいる一見「暗い人」、対面のコミュニケーションが得意でなさそうな人のリアルだって、今や簡単に充実するのです。だからこそ「非リア」が「暗い人」を指す言葉としてしっくりこなくなり、代わりに「陽キャ」「陰キャ」という言葉が登場したのだろうと思います。

でも、繰り返しになってしまいますが、対面のコミュニケーションが得意でなくたってリアルは充実するようになったわけだから、最早「陰キャ、だから何」で、いいはずなんですよね。テクノロジーやサービスが進化したからこそ幸せの形は前にもまして多様になって、だから本来なら私達はもっと解放されて良いはずなんです。なのに私達の価値観は、しぶとく前時代に囚われ続けているんです。

子供の頃に身につけた「こうあるべき」から逃れるのは、本当に大変なことですね。でも、だからこそ、その大変さを身をもって知っているイレーブさんにしか子どもたちに教えられないことが、きっと間違いなくあると思うのです。

私には忘れられない先生がいるんですよ。その先生は私の中高の技術家庭科の先生だったんですが、美人でお洒落で、女子校の中で謎のお色気をムンムンに漂わせた自己陶酔力の高い人で、もう明らかに学校に馴染んでないんです。
「先生達にも定期的に技術教習の日があってね、工具の使い方を教わったりするの。でね、その日はわざとミニスカート履いてくのよ。おじさんの先生が大勢いる中で、これみよがしに片足を板の上に乗せて、視線を浴びながらノコギリで裁断するのよ〜」なんて話を嬉々として生徒に語る、かなりおかしな人でした。
あるときその先生と何気ない話をしていると、ふいに「あなたは本当に素敵な日本語を使うのね」ってうっとりとした顔で言われたんです。たった一言なのだけど、学校という無機質な場所で、ようやく私を見つけてもらえた気がして、その夜は眠れないくらい嬉しかったし、20年経った今でもその一言を忘れることができないのです。

その場に染まれない人にしか見えない人やもの、使うことのできない言葉が必ずあります。
子どもの頃のイレーブさんと同じように、今受け持たれている生徒さんの中にもきっと、学校という閉鎖的な環境の中で、自分の性格にわけもなく負い目を感じていたり、居心地の悪さを感じていたりする子がいるのでしょう。
そんな子どもたちにぜひ、世の中にはいろんな人がいること、それぞれの人生があること、正解は決してひとつじゃないことを教えてあげてください。前時代の価値観を断ち切ってあげてください。理想的な人間になろうとしなくていいんだよ、あなたはあなたの一番居心地の良いあなたのままでいいよ、と目の前の子ども達と、子どものころのイレーブさんにぜひ、伝えてあげてください。

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イラスト:わかる
イラスト:わかる

紫原明子● 1982年、福岡県生まれ。個人ブログが話題になり、数々のウェブ媒体などに寄稿。2人の子と暮らすシングルマザーでもある。Twitter

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