編集者からおばんざい屋女将へ。
60歳での転身、成功の秘訣。
人生半ばでそれまでとはまったく畑違いの仕事を選び、今をイキイキ生きる女性に、転身のドラマとサクセスの秘訣を聞きます。今回は編集者からおばんざい屋「おかみ丼々和田」の女将へと転身を遂げた、和田真幸さんの半生を紹介。
夕闇迫る東京・築地。どこか懐かしい風情の路地に温かな灯りがもれる。ガラスの扉越しに中を見れば、カウンターのおいしそうな大皿料理に「おいでやす〜」と手招きされるよう。
料理はすべて和田さんの手作り。こだわりの出汁、選び抜いた食材や調味料……。派手さこそないけれど、本物だけが持つ上質の味がしみじみおいしい、プロならではの「おふくろの味」だ。
開店は3年半前の2012年秋。
「競争の激しいこの地でここまでこられたのは、店を開く前から支えてくれた方々、お客様の『縁』の力です」
40代半ばまで専業主婦だった。
「さまざまな事情から家庭に入っていましたが、2人の子育てをしつつ、いつか経済的自立をと大学の通信教育で心理学を学んだり、在宅でできる編集の仕事などをしていました」
「充実した仕事でやりがいもありましたが、非正規雇用で待遇は不安定。いつも安定した仕事を探していました」
当時、自宅と職場が近かったこともあり、後輩女性たちを家に招いては手料理を振る舞ったり、お弁当を作ってあげたりして喜ばれていた。
「女性の多い職場で、みんな頑張っている分、心身ともに疲れていました。私をママと慕ってくれ(笑)、いつかお店を開いて、と言われていました」
その声が現実味を帯びたのは、教材会社を退職後、再就職した健康関連企業が東日本大震災の煽りで閉じることになって、次の生き方を模索していた時のことだった。
「食い道楽の大阪でおいしいもの好きな両親に育てられ、小さな頃から食べることが大好き。旬と素材にこだわった料理を作って人に喜んでもらうのも好き。おいしいもので人の力になれないか、と」
そこからの道はまさに人の縁でつながった。まず、実家が京都でうどんの繁盛店を営む高校時代の同級生に相談したところ、「いい出汁と丼を教えるから丼ものの店をしたら」と助言され、住み込みで修業することに。
秘伝の出汁と丼のレシピを伝授され、人を雇わずに店を切り盛りする「ひとりオペレーション」のノウハウも学んだ。
「『おかみ丼々』の名はここで学んだ丼が店の原点になったから。出汁の昆布やかつお節はその店と同じ京都・錦の専門店から、今も取り寄せています」
また、40歳を過ぎて交流が復活した、東京在住の中学の同級生たちが必要な知恵、人脈、情報を持ち寄ってくれた。
気持ちや感情でものを考えがちだったが、経営における数字・ロジック(論理)・ファクト(事実)の大切さも、彼らのネットワークから少しずつ学んだ。
半年以上難航した店舗選びは、ある時、「業者が地区を間違って案内したここ(現在地)を見た瞬間、決めました」。
50代の終盤に「おひとりさま」となって、60歳で踏み出した女将稼業。
「苦労や危機は、明日の心配を今日しない、よく眠る、過ぎたことは忘れるをモットーに切り抜けてきました」
おいしい料理やお酒はもちろん、女将の姿そのものが店の魅力。たくさんの縁に育てられた店は、ここで出会った人と人の間に新たな縁を紡いでいる。
和田真幸さんのサクセスポイント
・中学・高校の同級生たちとの絆。
・働く女性を応援する、という明確なコンセプトがあった。
・何事も後悔せずに。常に前向きに考えてきた。
『クロワッサン』922号(2016年4月10日号)より
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