“性差を超えた戦い”に挑んだ テニス選手を鮮やかに描く。映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』。
文・永 千絵
世界大会優勝の女子チームがエコノミークラスで、メダルを確実視される試合に向かった。同じ飛行機に乗った男子チームはビジネスクラスだった。どこのなんのチームかはこの際おいといて。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』を観て思い出した、これは、まだほんの数年前の話。
『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』=“性差を超えた戦い”が行われたのは1973年、今から45年前のアメリカである。当時、世界最強といっていい女子テニスプレイヤーだった29歳のビリー・ジーン・キングが、55歳で盛りを過ぎていたとはいえ、優秀なテニスプレイヤーだったボビー・リッグスと試合を行った。ボビーの、けして上品とはいえない挑発を受けてのことだった。
女子と男子のテニス大会での優勝賞金額にあまりの差があることで全米テニス協会に異議を申し立てていたビリー・ジーンを、男たちは懲らしめたかったのだろう。男にくらべて女は劣っているのだから差はあって当然、という男たちの主張、定説をさらに揺るぎないものにするため、ボビーはこの試合を、面白おかしいショー、見世物に仕立て上げようとしていた。映画を観るかぎり、お調子モノでうるさいくらいにうっとうしいボビーの提案を、ビリー・ジーンは最初、拒否する。
しかし、結局、ビリー・ジーンはそんな試合を受けて立つ。彼女には試合を通じて社会に訴えたいことがあったから。男と女に優劣はつけられない。大事なのは、どちらが優れているか、ではない。自分たちが求めているのが“尊敬=リスペクト”であることを知ってほしい、と。
これほどあたりまえの訴えが、今、どれだけ真剣に受けとめられているだろうか。スポーツにかぎらず、日常生活のあらゆる場面で、周囲を見渡したとき、思わず「ふ~っ」とため息がもれる現実がありながら、それでも、半世紀近くも前に身をもってこのことを主張してくれた女性の存在を、わたしたちは忘れてはいけないのではないか。
ビリー・ジーン役のエマ・ストーンは出演作にハズレがない。ボビー役のスティーブ・カレルも相変わらずの鼻につく上手さ! ふたりともが生身の人間として映画の中で見事に生きている。
永千絵(えい・ちえ)●1959年、東京生まれ。映画エッセイスト。雑誌『SCREEN』、朝日新聞等に連載を持つ。近著に『父「永六輔」を看取る』。
『クロワッサン』976号より
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