くらし

技術の先にある芸術性と物語を求める姿にうたれる。映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』

  • 文・梅田みか
6歳の時にバレエを観て以来、その魅力に目覚めたヌレエフは、地元ウファで懸命にレッスンを続ける。(C)2019 BRITISH BROADCASTING CORPORATION AND MAGNOLIA MAE FILMS

ルドルフ・ヌレエフ。その名前をはじめて聞いたのは、父からだった。わたしがクラシック・バレエに夢中だった小学生の頃だ。ヌレエフは類まれな天才的なダンサーで、それまでバレリーナの「添えもの」でしかなかった男性舞踊手の存在をスターに引き上げた最初の人なのだと。それ以来、ルドルフ・ヌレエフの名前は、古い洋書の中の白黒写真とともに、わたしの頭の中にあり続けた。

17歳で名門バレエアカデミーに入団。恩師プーシキンに技術を教わる。

ヌレエフの踊りをこの目で見ることは叶わなかったが、映画『ホワイト・クロウ』は、彼がただ自由に踊ることを求めて亡命するまでを描いていて、その魅力を堪能することができる。キーロフバレエ団の一員として初めてパリを訪れたヌレエフは、パリの街に自由を見出す。縛られて生きるのはいやだと、監視の目をかいくぐり、絵画、彫刻、音楽、あらゆる芸術をむさぼるように学び、自身の中に刻みつけようとする。

パリ公演ではフランス人ダンサーや社交界の人々と親交を深める。

バレエは実際、とにかく規則の多い踊りだ。脚や腕のポジションも顔や身体の角度も、何もかも細かく決められていて、少しでも外れたら美しくない。バレエを習うというのは、すべての規則を頭と身体に叩きこみ、その動きをなめらかに行う技術を習得することなのだ。

どこまでも自由を追い求めるヌレエフが、規則でがんじがらめのバレエという舞踊に魅せられたのは、一見奇妙なことのようだが、そうではない。彼は本能的に知っていたのだ。規律の先に自由があり、気の遠くなるような鍛錬で得た技術の先に、芸術、そして物語があるのだと。

1961年のパリ公演ではオペラ座で躍動感あふれる踊りを披露。満員の観客を熱狂に包み込む。

ヌレエフは言う。「舞台で王子を演じるが、僕は王子じゃない」。故郷ウファでの幼少期のモノクロ映像と、優美で迫力のあるバレエシーンとの対比が胸に迫る。スポットライトの光が強ければ強いほど、影は濃い。悲しいほど激しく、純粋な情熱に引き込まれたとき、あの羽ばたく鳥のようなヌレエフの跳躍は、常に高みを目指し続けた彼の生き様そのものであったと気づかされるのだ。

『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』
監督:レイフ・ファインズ 脚本:デヴィット・ヘアー 出演:オレグ・イヴェンコ、アデル・エグザルホプロス、ラファエル・ペルソナほか 5月10日より、東京・TOHOシネマズシャンテほか全国順次公開。
http://white-crow.jp

梅田みか
(うめだ・みか)作家、脚本家。作家・梅田晴夫の長女。連続ドラマ『白衣の戦士!』(日本テレビ系・毎週水曜夜10時〜)が放映中。

『クロワッサン』996号より

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