くらし

「なんのために書くのか?」 自問して作家は作家になる。映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』(文・金井真紀)

  • 文・金井真紀
1939年、サリンジャーはコロンビア大学でバーネット先生から物語の重要さを学ぶ。(C) 2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

よく「宝くじ、当たんないかなぁ。当たったら好きなことするのに」みたいなことを言う人がいる。気持ちはよーくわかる。現状を変えたくて、棚からぼた餅が降ってくるのを待つ気持ち。わたしも若い頃はそんなことばかり考えていた。でも歳をとってだんだんわかってきた。本当にやりたいことは、宝くじなんか当たらなくてもやり始めるのだ。最初に「当たり」があるんじゃない。何もないところから始める覚悟だけが試されているのだ、人生ってたぶん。

作品が雑誌に掲載されるなか、劇作家ユージン・オニールの娘、ウーナと出会い、恋におちる。

本作は『ライ麦畑でつかまえて』で世界的に知られる作家J.D.サリンジャーの半生を綴った映画。とりわけ物書きを志してから世紀の名作を完成させるまでの10年余が丁寧に描かれている。時は1940年代。開戦前夜の享楽のニューヨーク、悲惨なヨーロッパ戦線、東洋思想の広がり……など随所に激動のアメリカ現代史を垣間見ることができる。

まだ小説家としてデビューする前、書いても書いても出版社からボツを食らっていた頃のサリンジャーに、恩師バーネットは問いかける。

「君に生涯を賭して物語を語る意志はあるか? 何の見返りが得られなくても?」

1942年、陸軍に入隊。厳しい戦況でも、サリンジャーは書くことを支えに生き延びる。

この先もずっと作品は評価されず、本が出版されることもなく人生が終わるかもしれない。それでも君は物語を書き続けるつもりか、と本質をえぐる質問だ。返す言葉が見つからないサリンジャーに、バーネットはきっぱりと言う。「もし答えがノーなら、別の仕事を探しなさい」と。

ひゃー厳しいなぁ、バーネット先生。でもこれこそがサリンジャーの覚悟を確かめる質問だった。最初に「当たり」はない。それどころか、最後まで「当たり」は訪れないかもしれない。それでもやる、と覚悟した者だけに見える地平がある。

激動の10年を経て『ライ麦畑~』はついに完成する。だがそれは魔物のような作品だった。書き手の意図を超えて、魔物は読者におかしな影響を与えていく。サリンジャーが手にしたものは揺るぎない名声、そして深い孤独……。

映画の最終盤、バーネット先生のあの問いに対して、サリンジャーから予想外の形で答えが返される。覚悟を貫いた人の凄みに、背中がゾクッとした。

『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』
監督・脚本:ダニー・ストロング 出演:ニコラス・ホルト、ケヴィン・スペイシー、ゾーイ・ドゥイッチほか 1月18日より東京・TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開。
https://www.rebelintherye-movie.com

金井真紀
かない・まき
文筆家、イラストレーター。現在本誌にて「きょろきょろMUSEUM」を連載中。著書に『パリのすてきなおじさん』など。

『クロワッサン』989号より

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