くらし

『サイゴン陥落の日に』著者、中山夏樹さんインタビュー。「個の人生は大きな生命の流れの一つ」

定年退職してマイペースな生活を送っていた哲朗に、大学時代に同じ下宿で過ごした真紀から突然のメールが届く。平凡社 1,600円

学生時代に取り交わした40年前の約束は果たして守られるか。

時は1970年代、東京・下北沢の古アパート「楓荘」で3人の若者が顔を合わせた。

なかやま・なつき●長野県諏訪市生まれ。青山学院大学卒業。2013年に退職後、 ’15年「サイゴン陥落の日に」で第2回晩成文学賞、’16年「西北の地から」で第33回さきがけ文学賞、’18年には「ゴールドの季節」で第49回埼玉文芸賞準賞を受賞する。

撮影・青木和義

清水哲朗、高橋真紀、ラム・ティ・フーン。学部は違えど、3人は同じ大学の新入生である。ラムはベトナムからの留学生だ。

「’70年代のベトナムはめまぐるしく状況が変化する大変な時代で、この物語の骨格を支える一つの要素となっています」

と、著者の中山夏樹さん。

長い年月を経て泥沼化したベトナム戦争は、’73年に停戦合意し、パリ和平協定が結ばれるも、その2年後には停戦ラインを無視した北ベトナム軍が南の首都サイゴンを全面攻撃。そして、同年4月30日にはついにサイゴンが陥落し、南ベトナムという国が消滅する。

もはやラムは母国に帰ることも、無効になったパスポートで日本に居続けることもできない。カナダで永住権を得る、という残された生きる術を求めて、哲朗、真紀が見送るなか羽田空港を後にするのだ。40年後の4月30日、大学の図書館前で再会しよう、という約束を胸に秘めながら。

定年の年齢が見えてきて、 書きたいという気持ちが再び。

哲朗と真紀はきょうだいのように仲がいい。真紀が失恋で落ち込んで、朝まで一緒に過ごすようなことがあっても何も起こらない。ラムの真紀に寄せる思慕がそれとなく行間に滲む。アパートで友情をはぐくんでいく3人の若者を見つめる中山さんの眼差しが温かい。

ところで、本作『サイゴン陥落の日に』は中山さんのデビュー作である。しかも人生で初めて書いた小説がこうして形になった。

「学生時代は演劇の台本ばかり書いていました。会社に就職してからはそれどころではなくなった」

勤務先は大手製薬会社。40代後半から50代、営業本部長を務めた際には2千数百名の部下がいた。

「勤めているときは書こうなどとは思いも寄りませんでした。ところが、そろそろ定年の年齢が見えてくる段になって、仕事は60でピタッとやめようと。そして退職したら昔のように台本を書こう、と決意したのです」

その言葉どおり、会社を辞めたと同時に劇作家のセミナー、立て続けに小説講座へ通った。そして、その講座で初めて書いたのがこの作品である。

単行本にはほかにも「西北の地から」「水辺の周回路」「ゴールドの季節」の3編が収録されているが、どの作品にも共通するのは、悠久の時間の中に人間の限られた命は繋がっていて、生かされているという人生観である。

「死ぬとわかっている人生そのものにどんな意味があるか、という考えは昔からありまして。かつてはそれがベケットやイヨネスコなどの不条理劇に向かっていましたが、今はハッピーエンドな小説が私は好きです」

さて、それぞれの40年を過ごした哲朗と真紀とラム。ついにその日はやってくるが、いったい何が起きるか。それとも……。ぜひ一読して確かめてみたい。

『クロワッサン』989号より

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