【あの本を、もういちど。伊藤比呂美さん】働く女の生き方に励まされる、森鷗外の小説と、説経節。
折に触れて読み返したくなる本がある。たとえ読んだことすら忘れていても、再び手にした瞬間、記憶の扉が劇的に開かれ、鮮やかに感情が甦る本もある。今の自分をかたちづくるのは、人生経験とかつて読んだ無数の本だと言えないだろうか。新しい本を読むのも楽しいことだけれど、“再読”の喜びを味わってみたい。
撮影・岩本慶三 文・後藤真子
自分を救おうと書いた言葉が、人の痛みを取ることにも。
女として生きる日々の喜びや苦悩の中から、詩人として伊藤さんが紡ぎ出した言葉は、時間も空間も超え、説経節に登場する女たちや、それを語り、聞き、笑い泣いていた女たちと響き合う。鷗外の描いた女たちとも、もちろん、現代に生きる私たちとも。
「自分もいっぱいいっぱいで、なんとか自分を救おうと作品を書いてきたのですが、もしかしたら、無我夢中で書くうちに、同じような状況の人たちとつながって、読んだ人の気持ちをちょっと楽にするというような、救済みたいなことがあるのかなと気づきました。私は『私』のことばかり書いてきたけれど、実は『私たち』のことを書いていたんだ、と。詩人として、自分の言葉を使って人の痛みを取り、同時に自分の痛みも取る。そういうことをやってきたような気がします」
言葉を使ったまじないに、「痛いの痛いの飛んでいけ」というのがある。伊藤さんにとって、説経節や鷗外の言葉は、まさしくそんな存在だった。そして、伊藤さんの書く言葉は、現代の読者にとって、同様の存在になっている。
伊藤比呂美(いとう・ひろみ)●詩人。『河原荒草』(思潮社)で高見順賞、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社)で萩原朔太郎賞と紫式部文学賞を受賞。『良いおっぱい悪いおっぱい【完全版】』(中央公論新社)ほか、著書多数。
『クロワッサン』979号より
03 / 03
広告