『遠くまで歩く』柴崎友香 著──思い出し、書くことで内なる他者に出会う
文・友田とん
新型コロナが流行し、それまで当たり前と信じて疑わなかった日々が激変してから五年が経つ。その間、オンラインの比重が増え、移動を伴わなくなったからか、いつ誰とどこで会ったのかという出来事や時間の遠近感があべこべになっていたような感覚がある。記憶とはなんとも不思議なものだが、だからこそ、そうした記憶を書き残しておきたいとも思う。
柴崎友香は時間感覚や土地と結びついた記憶について繰り返し書いてきた。その最新長篇小説『遠くまで歩く』は、小説家の森木ヤマネがゲスト講師として招かれたオンライン講座で、参加者それぞれが写真を手がかりに、身近な場所を文章に書いていく過程を描く。
参加者は各地で暮らす、年も職業も様々な人たちだ。彼/彼女らが画面越しに、写真と書いた文章を紹介し、またその経緯や感想を話していく。例えば、大きな川の河川敷とそこに掛かる鉄橋を走っていく電車の写真に、若い頃からこの河川敷の近くで暮らしていたことが綴られる。窓ガラスから台所のカラフルな鍋や洗剤が透けて見える古びた家の写真に、友人たちと始めたその家での共同生活が綴られる。他にも、実家にあった古いカメラやその持ち主であった親族のこと、木々に囲まれた近くの遊歩道を散歩したこと、ロードサイドで長く続いているラーメン屋への思い入れなど様々だ。使い道のない階段のような、近所で発見したトマソンを報告する人もいる。多忙で講座に出席できない参加者は、自宅から撮った富士山の見える風景の定点観測映像を毎回提出していて、これを皆が楽しみにしていたりもする。
ある時、森木ヤマネは「書こうとすると思い出す作業になる」とコメントする。たしかに、写真や書き記したメモをもとに、その場所や出来事を書いていく時、思い出して書いていくことになる。何日か前の日記を書いていくうちに、すっかり忘れていたことを思い出したという経験をした人は少なくないだろう。思い出して書いていくと、より細かく思い出すのだ。そのようにして書き続けていくことで、思い出すはずのないことを思い出し、そんな考え方を自分がしていたとは知らなかったと気づかされる。自分のなかにある他者に出会ってしまう驚きの体験こそが人を「書く」ということの虜にする。
この講座では、各人が作品を書く時間の中でそうした現象が起きている。さらに、回を追って、続きが語られることもあれば、私にもこんなことがあったと、作品を鑑賞した別の参加者の記憶を喚起することもあり、ゆるやかにこの現象が伝播していく。講師たちが、講座を手探りで試行錯誤しながら作っていることも影響しているだろう。これを読むと、自分も講座に参加している気持ちになり、手元のスマホに残った写真から記憶を呼び起こして文章を書いてみたくなるはずだ。
遠くまで歩くとは、身近なところから地続きに思い出していくことで、自分の中にある無数の他者の視点や声にたどり着けることを確かめていく作業なのだ。
『クロワッサン』1141号より
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