京都に行けば彼女達が待っている——エッセイスト・酒井順子さん
撮影・福森クニヒロ イラストレーション・網中いづる
京都に行けば彼女達が待っている
文・酒井順子
ご近所のとある奥さんは、私の“京友(きょうとも)”です。
立ち話をしている時に、京都へ行くこと、それも一人で行くことがお互いに大好きだということが判明。
「夫とは一緒に行かないの。夕食は京都の友達と一緒に食べるけれど、それ以外は自分のペースで、行きたいところに行くのが最高よね」
というお話に私も激しく同意して以降、会えばいつも京都の話をしているのでした。
若い頃は今ひとつその魅力がわからなかった京都だけれど、人生の年輪を重ねるにつれ、その滋味がじわじわと沁みるようになってくるものよ。……人生の先輩でもあるご近所の“京友”と話しているとそんなことを思うわけで、おいしいお店情報やお土産情報などを交換するうちに、路上での立ち話の時間は、いつも延びていくのでした。
そんな私が京都へ通いたくなる理由の一つとして、この地では歴史の中で懸命に生きてきた女性達の息吹を、そこここで感じることができるから、というものがあります。
たとえば京都御苑を散歩すれば、あなたは土御門殿の跡地を発見することでしょう。土御門殿とは、「光る君へ」でお馴染み、藤原道長の邸宅のこと。一条天皇の妃である彰子が、初めての子を出産したのが父の邸であり、紫式部もその様子を日記に書いています。道長はもちろん、彰子や紫式部が千年前にここにいたのかと思うと、ただの草むらも輝いて見えてきましょう。
堀川通のほど近くにある宝鏡寺には小川御所の碑があり、それは室町時代のできる女・日野富子の面影を感じさせる地。また鴨川のほとりをそぞろ歩けば、江戸時代に鴨川の河原で、かぶき踊りを披露して大人気となった出雲阿国の姿が目に浮かぶかのよう。
京都はこのように、多くの女性達が歴史の中で印象的な姿を残している街なのであり、それはこの地が長い間、都だったからこそ。権力者の妻や娘といった女性達だけでなく、自身も権力を持った女性や、文筆や芸術の世界で活躍した女性など、今を生きる私達も共感することができる女性達の温度のようなものが、漂ってくる気がするのです。
洗練された料理や季節ごとの景色を堪能するのが楽しいのはもちろんですが、それだけでなく、歴史上の女性達に対して時をこえて共感したり、友情を感じたりという、一種のタイムトリップをすることができる街が、京都です。私を含め、京都へふらりと一人で行きたくなる女性が多いのは、「あちらに行けば、彼女達が待っている」と思うことができるからなのかもしれません。
のみならず、長い歴史の中で女性達が紡ぎ続けてきた個性や感覚は、現代の京都を生きる女性の中にも、確実に引き継がれている気がしてならない私。平安時代から街の姿はすっかり変わったとはいうものの、京に生きる女性達の中で平安以来脈々とつながり続けている都会的感覚に接することもまた、京都で味わうことができるタイムトリップの一つなのでしょう。
広告