暮らしに役立つ、知恵がある。

 

広告

角田光代さんの「ロヒンギャ難民キャンプ視察レポート」

教育は、命綱であり、希望でもあるーー。

文・角田光代

ロヒンギャと呼ばれる人たちがいる。バングラデシュ国境に隣接する、ミャンマーのラカイン州におもに住む少数民族だ。仏教徒が九割を占めるミャンマーで、彼らはイスラム教徒である。政府は、彼らをミャンマー国民だと認めていない。バングラデシュからの不法移民だというのが政府の公式見解で、だから彼らは国籍を持たない。

ラカイン州に暮らすロヒンギャたちは、国民と認められないばかりか、長いあいだ不当な差別を受けている。就く職業も、教育を受ける機会も限定されている。

覚えたての文字を愛おしそうになぞる女の子。
覚えたての文字を愛おしそうになぞる女の子。

2017年の8月25日、武装したロヒンギャの集団が、国境警備警察とミャンマー国軍の施設を襲撃したのをきっかけに、ミャンマー国軍と警察が武力による掃討作戦をはじめた。のちに欧米諸国によって「ジェノサイド」だと定義されるほどの大量無差別殺人や集団レイプが行われたのである。この日を境に、じつに70万人以上のロヒンギャたちが、川を渡り、山を越え、バングラデシュに避難した。近年では、最速・最大の難民危機と言われている。

ミャンマー国境と近いバングラデシュのコックスバザールは、世界一の長さを誇るビーチがあるリゾート地だが、この地域に、避難したロヒンギャの暮らす巨大キャンプがある。

2024年6月、私は国際NGOプラン・インターナショナルのスタッフに、このキャンプを案内してもらう機会を得た。コックスバザールの中心地から車で1時間ほど走ったところに、今や百万人が暮らす、クトゥパロン難民キャンプはある。

識字教室の様子。クラスは男女別で開かれる。
識字教室の様子。クラスは男女別で開かれる。

全貌がまったくわからないほどの巨大キャンプだ。午後5時に閉まるゲートからキャンプ内に入って、まず驚くのは、密集した家がすべて竹とビニールで建てられていること。これは、帰還を前提と考えるバングラデシュ政府が、コンクリートや木材で耐久性のある住居建築を禁止しているためだ。

ぎっちりと並ぶ住居のあいだを、未舗装の細い道が続く。ニワトリがひよこを連れて歩き、裸ん坊の子どもたちが遊んでいる。子どもの数が驚くほど多い。年齢を考えると、このキャンプで生まれ、ここしか知らない子どもたちだ。

ミャンマー語の読み書きを学ぶ。ほかには英語の時間も。
ミャンマー語の読み書きを学ぶ。ほかには英語の時間も。

このキャンプ内には、さまざまな国際支援団体による教育施設がある。ロヒンギャの人たちは、ミャンマーに住んでいたときから教育を制限されていたため、文字の読み書きができない人が、大人も含めて非常に多い。しかしながら教育施設の多くは、小学校相当の年齢の子どもたちを相手にしている。そこでプランは15歳から24歳までの男女を対象とした教育プログラムを実施している。英語とミャンマー語の読み書き、計算だけでなく、ジェンダー平等、衛生・保健などの指導も行っている。

男女別れて行われているクラスを見学させてもらった。女の子たちの半数はすでに結婚して子どももいる。どちらのクラスでも、今まで学校に通った経験がない人が少なくない。先生をやっているのは両クラスとも、中学校相当の教育を受けた二十代のロヒンギャだ。この先生たちが、自宅の一間を開放して教室にしている。

難民キャンプは森を切り拓いて作られている。
難民キャンプは森を切り拓いて作られている。

このプログラムに参加して、何が変わった?と、参加している男女の生徒たちに訊いてみた。

自分の名前が書けるようになった、支援物資の支給品名が読めたり、数を書きこめるようになった、自分に自信がついた、もっと勉強したくなった――等の答えを聞いていたら、ここでは、文字の読み書きができることは、誇張でもたとえでもなく、生きていくことと密接にかかわっているのだと実感した。そしてひとりの男の子が言った、「前は一日、やることがなかったけど、今はやることがある」という答えが私には非常に印象深かった。

一日何もすることがない。それは、未来を見通せないことと同じではないか。キャンプを出ることも禁じられ、読み書きもできず、日がな一日することもなければ、自分に未来があるということすら考えられないだろう。教育は、ここでは文字どおり命綱なのだ。

それにしても、キャンプの環境はかなり劣悪だ。6月ですでに猛暑なのに、クラスにあるのはファンのみだ。それも昨年支給されたという。室内にいてもとにかく暑い。

山にへばりつくように作られたキャンプは、サイクロンがくれば土砂崩れもあり、竹とビニールの家はかんたんに倒壊する。この仮住まいのような状況から、いったいいつ抜け出せるのか、いつ帰れるのか、まったく目処は立っていない。

キャンプ内をスタッフとともに歩く角田さん。
キャンプ内をスタッフとともに歩く角田さん。

キャンプ内では麻薬の売買をはじめとする犯罪も増加していると聞いた。生計をたてる手段が限られているなか、犯罪に加担してしまうのは通常よりずっとたやすいのだろう。十代、二十代の人たちを対象にした教育プログラムが、文字や計算の教育だけでなく、犯罪への防御措置としても機能していることを信じたい。

キャンプに暮らすロヒンギャにとって最大の恐怖は、世界から忘れられることだと思う。国籍もなく、働く許可もない彼らの暮らしは、今現在、国際支援団体からの支援に大きく頼らざるを得ない。2017年から7年たってなお(編註:本レポートは2024年執筆)、帰還の目処が立たない世界最大級の難民のことを、この先も追い続けるというちいさなことしか、私にはできないけれど、それは同時に、私にできる最大のことなのかもしれない。

男の子を対象にしたクラス。教科書はオリジナルのものを使用。
男の子を対象にしたクラス。教科書はオリジナルのものを使用。

ロヒンギャとは?

ミャンマー南西部のラカイン州に暮らす、イスラム系少数民族ロヒンギャ。国籍を奪われ、長年教育を受ける権利や、自由に移動する権利といったさまざまな権利が認められない生活を送ってきた。

2017年8月に起きた暴動と軍の掃討作戦により、多くのロヒンギャがこれまで住んでいた土地を追われ、隣国のバングラデシュに逃れている。

東南アジアのインドシナ半島、ミャンマーの西がバングラデシュ。
東南アジアのインドシナ半島、ミャンマーの西がバングラデシュ。

プラン・インターナショナルによる ロヒンギャ難民の識字教育プロジェクト

プラン・インターナショナルは世界80カ国以上で子どもたちや女の子とともに活動する国際NGO。難民キャンプに暮らすロヒンギャの若者たちへの識字教育を強化するとともに、ロヒンギャの人々自らが指導者となり、コミュニティ内で継続して識字教育を行うことができる体制づくりを目指している。詳しくは「プラン ロヒンギャ」で検索を。

  • 角田光代

    角田光代 さん (かくた・みつよ)

    1967年生まれ。2005年『対岸の彼女』で直木賞受賞。『八日目の蟬』など著書多数。『源氏物語』現代訳も評判。

『クロワッサン』1126号より

広告

  1. HOME
  2. くらし
  3. 角田光代さんの「ロヒンギャ難民キャンプ視察レポート」

人気ランキング

  • 最 新
  • 週 間
  • 月 間

注目の記事

編集部のイチオシ!

オススメの連載