ロシアと周辺の国々の料理と食文化の面白さを語り合う。
撮影・黒川ひろみ 文・嶌 陽子
旅先での食について語り合う第2弾の舞台は、ロシアと周辺の国々。ロシアに縁の深い2人が現地で出合った料理や、そこから見える文化や社会について語り合います。
沼野恭子さん(以下、沼野) 師岡さんがロシアを訪れたのはいつ頃のことですか?
師岡カリーマ・エルサムニーさん(以下、師岡) 2014年から6年間、毎年ロシアや旧ソ連の国に行っていたんですが、ずっと昔から親近感があったんです。というのも、私はロシア料理を食べて育ったんですよ。父が親しくしていたタタール系(ロシア連邦内のタタールスタン共和国やその他の地域に暮らす民族)の女性がいて、子どもの頃は彼女が作るペリメニ(水餃子のようなもの)やピロシキなどのロシア料理、それにタタール料理もよく食べていました。母も彼女からロシア料理を教わってよく作ってくれましたし。
沼野 そうだったんですか。そんな繋がりがあったとは。
師岡 沼野さんも数えきれないほどロシアに行かれていると思いますが、初めて訪れたのはいつでしたか?
沼野 1977年、ソ連時代でした。当時は東京外国語大学ロシア語学科の2年生で、夏の語学研修ツアーで当時のレニングラード(現サンクトペテルブルク)に3週間ほど滞在しました。午前中は語学の授業、午後は自由時間だったので街を満喫しましたね。
師岡 それは楽しそうですね!
沼野 楽しくて仕方なかったです。ある日、恩師の紹介でレニングラードコメディ劇場の看板女優であるオリガ・アントーノワさんという方の自宅にお邪魔したんですが、彼女がきのこのクリーム煮を作ってくださって。いろいろな種類のきのこが入っていて、本当においしかったですね。その頃は慢性的な物不足で、スーパーに行っても棚にはほぼ何もない状態なのに、なぜこんな料理を作れるんだろうと不思議でした。
師岡 なぜだったんでしょう?
沼野 市場に行くと旧ソ連のさまざまな地域から来た個人農家の人たちが新鮮な野菜やきのこを売っているので、人々はそれを買ったり、もしくはダーチャ(都市部の人が週末などを過ごす郊外の別荘)で自ら野菜を育てたりしながら、おいしいものを作っていたんですよね。
師岡 あちらはきのこ類が豊富ですし、森に行けば採れますよね。
沼野 後年、テレビのロシア語講座の番組のロケできのこの採り方などを教えてもらったりもしました。
異文化に寛容な気質が食の世界にも表れて。
沼野 師岡さんは、初めてのロシア訪問ではどんなものを食べましたか?
師岡 モスクワの市場でいろんな種類のハチミツを味見させてもらったり、スーパーでお惣菜を買ってホテルで食べたりしました。ジョージア人の女性にジョージア料理店に連れていってもらったりもしましたね。
沼野 最近のロシアは、ジョージア料理やキルギス料理、ウズベキスタン料理など、さまざまな国や地域の料理店がありますね。
師岡 日本食レストランやスシバーもたくさん見かけました。
沼野 ロシアはもともとソ連という国が多民族国家だったこともありますし、それ以前のロシア帝国時代からずっと、異文化に対して寛容なところがあると思います。ボルシチにしても、本来はウクライナのもの。そうやってさまざまな食文化を取り入れてきたんです。
師岡 ロシア人って、自分たちの文化への愛着もある一方で、異国への憧れも東西問わず強い気がしますね。だから外国から新しいものが入ってくると飛びつく面もあるのかもしれません。
沼野 そもそも、国境を越えて料理や食材が広がるのはごく自然な現象。「ロシア料理」といった具合に、料理の前に国名をつけるのはどこか無理があるようにも思います。
師岡 ロシア以外にもウズベキスタンなどに行って思ったのは、シルクロードを辿ると、どの地域でも小麦粉を練った皮に肉などの具材を詰めた料理があるということ。シルクロードは「粉ものの道」でもあるような気がします。
沼野 確かに、ペリメニもシベリア発祥といわれていますが、きっとさまざまなルートを辿って伝播したんでしょう。私もウズベキスタンでマンティという肉入りの餃子を食べたことがありますが、ペリメニもマンティも生地で具材を包んだものですから。
師岡 もう一つ、モスクワで印象的だったことがあります。私は『ヴォルガ・ブルガール旅行記』という10世紀の旅行記が大好きなのですが、これはアラブ人の使節団がバグダッドから11カ月間かけて現在のロシアへ行ったときの記録です。
沼野 10世紀というと、ようやく統一国家ができた頃ですね。
師岡 その旅行記の中に、アラブ人たちがロシアでベリー類のおいしさに感激する記述があって。私が実際にモスクワの市場に行ったとき、さまざまなベリーが並んでいて「あ、これのことだ」と思ったんです。同時にその横にはエジプトのいちごも売られていたんですよ。千年前と変わらないベリー類の豊富さ、そして現代のグローバリゼーションを象徴するエジプトのいちごが並んでいるのが感慨深かったです。そんなふうに自分の体験や興味と旅での食がつながるのが面白いんですよね。
マヨネーズが大好きなロシア人。真冬にアイスクリームも。
沼野 ロシア料理って案外あっさりしていると思いませんか? ボルシチだって赤くて、とろっとしてるように見えるので、こってりした料理に思われますが実は何杯でもおかわりできます。
師岡 確かにそうですね。
沼野 ただ、あちらではコース式で料理が順番に出てくるんですが、前菜をとりすぎると後が大変。前菜の後に出てくるスープが「第一の料理」と呼ばれていて、前菜はものの数に入っていないですから(笑)。
師岡 スープは種類も豊富でおいしいですよね。ウハーっていうお魚のスープとか。あと私は前菜でよく出るセリョートカ・パド・シューボイも好きです。日本語に訳すと「毛皮を着たニシン」。
沼野 ニシンの酢漬け、それにじゃがいものマヨネーズ和え、一番上にビーツが層になっているサラダですね。
師岡 ロシア人はポテトサラダ好き、というよりマヨネーズ好きですよね。
沼野 大好きで、たくさん使いますね。マヨネーズを使ったロシア風ポテトサラダといえばオリヴィエサラダ。19世紀にオリヴィエというフランス人シェフがモスクワのレストランで考案したものです。レシピを残さなかったので幻のサラダといわれています。
師岡 ほかにロシア人が好きなものといえばアイスクリーム! 真冬でも食べていますよね。現地の友人に理由を聞いたら「だって空気よりもあったかいから」ですって(笑)。もちろん冗談ですけど。私も寒いと思いながら真冬に頑張って食べました。
沼野 確かに冬でもアイスクリームを食べている人はよく見ます。飲み物についてはどうでしょう?
師岡 私はクワスが大好きで、レストランに行くとまず注文していました。
沼野 クワスが好きとは、相当な通ですね(笑)。ライ麦を発酵させた甘みのある微炭酸飲料。昔は古臭い飲み物として人気がなかったですが、最近はペットボトルで販売したりとイメージアップを図っているみたいです。
師岡 あと、ロシアといえばやっぱり紅茶。以前、モスクワとサンクトペテルブルクを結ぶ列車「赤い矢号」に乗った時、朝晩、素敵なガラスのカップに入った紅茶が出てきました。
沼野 私もソ連時代、列車に乗った際、車掌さんのいるところに大きな金属の湯沸かし器、サモワールがあって、自由に紅茶を飲めたことを覚えています。
ソ連時代への郷愁を誘うコンセプトレストランも登場。
師岡 沼野さんは長年ロシアに行かれている中で、食の変化を感じますか?
沼野 ソ連時代から考えると激変しましたね。実際に暮らしている人が豊かかどうかはさておき、観光客として見ればものは増えたし、ソ連時代はカフェがほとんどなかったのに、最近はチェーン系のカフェがたくさんあります。外国資本のものも含め、レストランもすごく増えました。ハンバーガー店やピッツェリアなど、グローバリゼーションが進む一方で、ロシア料理に特化した店も出てきました。
師岡 『ヨールキ・パールキ』というロシア料理のチェーン店もありますよね。日本でいうファミレスみたいなお店で、意外とおいしかったです。
沼野 ソ連時代へのノスタルジーも強くて、1960〜’70年代をテーマにしたコンセプトレストランなども。ロシア人作家、ボリス・アクーニンさんにいろいろ連れていってもらいました。
師岡 スタローバヤという、ソ連時代にあったようなカフェテリア形式の食堂も学生街などにあって楽しいですね。ロシアは魅力的な国なのにウクライナ侵攻という暴挙によって、行けない国、行きたくない国になってしまったことに憤りと悲しみを感じます。
沼野 こうして見るとロシアの食は多様だし、食についてお話しするのは楽しいですが、一方で過去には故意に飢饉を起こしたりするなど、食が戦争や支配の道具になった歴史もありました。特に戦争が行われている今、食べるものがない人たちがいることを忘れてはならないと思うんです。食が常に健全なもの、楽しいものになるよう、人間の知恵を集めていかなければ。
師岡 そのためには、私たち一人ひとりが外の世界に興味を持ち、世界と自分がつながる必要がありますよね。食べ物はその足がかりの一つになってくれるのかもしれません。
『クロワッサン』1122号より