考察『光る君へ』29話「ははうえー、つづきはぁ?」物語をせがむ賢子(永井花奈)がかわいいっ!宣孝(佐々木蔵之介)、詮子(吉田羊)が去り、いよいよ紫式部誕生か
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
宣孝の変顔
長保3年(1001年)正月。薬であるお屠蘇を口にする一条帝(塩野瑛久)の顔色は冴えない。皇后・定子(高畑充希)がこの世を去ったのは長保2年12月16日……半月ばかりしか経っていないので、沈んだ様子は無理もない。
帝とは対照的に、明るく誇らしげな表情の宣孝(佐々木蔵之介)は帝が飲みきれなかった薬を飲み干す、名誉な役目──後取(しんどり)を務めた。本来ならばこの世でただひとり、天皇しか口にできないものを飲む役目なのだから、天にも舞い上がる思いだろう。そのまま、愛娘・賢子(永井花奈)と、まひろ(吉高由里子)が待つ家に帰ってきた。
賢子はすくすくと育ち皆のアイドルである。宣孝の変顔で賢子以上に、まひろがウケる。賢子を真ん中に夫婦仲が完全復活しなによりだと思いつつ、宣孝には嫡妻も他の妾もいるのだよなあ……彼が年を取ってできた娘を可愛がり、内裏からこちらに直帰している日、他の女たちは何を思い、どう過ごしているのだろうと考えてしまう。
怠慢は言いすぎである!
受領功過定(ずりょうこうかさだめ)で、越前守であるまひろの父、為時(岸谷五朗)の4年間の仕事の評価がなされた。真面目に勤め上げていても、 越前の地の状況がどうであろうとも、宋人を帰国させられないために怠慢とまで言われてしまう。怠慢だなんて……現場の苦労をまったく知らず、上が低い人事査定をつけてしまうのは昔も今も同じか。
「為時殿は真面目な御方。怠慢は言いすぎである!」
視聴者の声を代弁してくれて、ありがとう実資(秋山竜次)! しかし、続けての任官はならず。大国に赴任して4年経っても、宣孝のように富を得るような活動を全くしていない為時は、都に帰れば苦しい生活に逆戻りである。ドンマイ父上。
ふたりの作家の違い
賢子は、まひろが子守歌替わりに聴かせていた「蒙求」(もうぎゅう)に反応なしだ。親が大好きなものを我が子にも……と与えたところで、子が興味を持つとは限らない。このあたりは世の中の多くの親が共感するだろう。
「殿様が帰ってもあんたと私は今のままよ。堂々と来なさいよ!」と、福丸(勢登健雄)に念を押す、いと(信川清順)。いとと為時にはかつて体の関係があったと、これまでもちょいちょい示唆されていた。彼女の言葉に対して煮え切らない態度の福丸だが、そりゃあ、この家の主である殿が帰ってきたら他の男がここに通うのは難しいだろう。しかし被災後の片付けに来てくれたり、乙丸(矢部太郎)と共に、まひろの安産を必死に祈ってくれたり。いい男である。ここは彼の呑気さを発揮して、ここに居ついてほしい。
喪服姿の清少納言(ファーストサマーウイカ)が、まひろを訪ねてきた。
『枕草子』を友に見せる……まひろが読んでいる箇所は「香炉峰の雪いかならむ」だ。『枕草子』でもキラキラ輝き度ではトップの章だろう。
まひろ「私は皇后様の陰の部分を知りたいと思います。人には光もあれば陰もあります」
清少納言「皇后様に陰などはございません! あったとしても書く気はございません」
清少納言の定子への思いは強火だな! とは思うが、定子の苦境を間近で見つめていた人間が、あの姿を書きたくないという気持ちはわかる。
自分の目で見たもの、経験したことの中から人々に伝えたいものを描き出すのは、随筆家としての清少納言の芯であり、まひろの「人は複雑であればあるほど魅力が増す」という考え方は、紫式部の物語作家としての芯だ。
ふたりの作家の違いであり、そこに優劣はない。
学者としてのプライドではなく……
頼もしい夫、娘を父として可愛がってくれた宣孝の突然の死。
北の方(嫡妻)からの報せは、礼を尽くしつつも、弔いを済ませた後であり、最期の様子も詳細に伝えない形であった。妾とはそういう立場である。報せがあっただけでも世間一般的にはよいほうかもしれない。
「豪放で快活であった殿の御姿だけを御心にとどめておいていただきたい」という言葉に、顔も知らない北の方の一縷の恩情を感じる。
『紫式部集』には、夫・宣孝を悼む紫式部の歌が記されている。
見し人の煙となりし夕べより名ぞむつましき塩釜の浦
(夫が煙となってしまったあの夕暮れから、藻塩を焼く煙が立ち上るという塩釜の浦の名前にさえ親しみを覚えるようになりました)
『紫式部日記』にも、のちに当時のことを思い出し「涙に暮れているうちに時の移ろいに気づき、もうそんな季節かと思いながらも、これからどうなってしまうのだろうと考えていた」と綴る。
これからどうなってしまうのかというのは、仕える者たちがより強く抱えた不安だろう。「飢えるのは嫌だから越前に帰ろうかな」というきぬ(蔵下穂波)の言葉はもっともだ。が、乙丸に「あんたもくる?」
乙丸「えーーーーっ」
観ているこちらも、えーーーーっ。乙丸が、まひろの傍を離れる……? きぬはもともと、為時の家に雇われたのではなく、乙丸と結ばれたから都についてきただけだからそんな提案もするだろうけれども。乙丸には幸せでいてほしいんだけど、あああ。
急に姿が見えなくなった宣孝を探す賢子の「ちちうえは?」に泣いてしまう。
賢子……可愛がってくれた父上のこと、ずっと覚えていてくれるだろうか。大人になり覚えていてもいなくても、切ない話である。
賢子の乳母・あさ(平山咲彩)遁走。この家の経済状態に危機感を抱いたのは、きぬだけではなかった。そんな中で、左大臣・道長(柄本佑)の使いとしてやってくる百舌彦(本多力)。
「越前守再任の後押しをできず『すまなかった』とのことでございまする」
百舌彦、ちょいちょい道長のモノマネをするし、割と似ている。この「すまなかった」もさりげなく似ている。今回の使いは、為時を左大臣家のお抱えの漢籍指南役として雇いたいという申し出だった。断る為時に、うんうん。まひろと道長の関係を知っていては引き受けにくいよね……娘の元カレに私的に仕事を世話してもらうなどと、学者としてのプライドが許さないかもねと思ったら、
「道長様の北の方のご嫡男のご指南など、お前の心を思えば……」
えっ。そっち!? そっちの気遣い?久しぶりに帰郷した為時のカタブツぶりと浮世離れぶりが加速していた。
敦康親王を人質にしなさい
藤壺でたったひとり過ごす中宮・彰子(見上愛)のもとに、あれこれと煌びやかな品々を運びこむ倫子(黒木華)。
毎日母親が通っては、帝も后のもとに足を向けにくいだろうと言う道長に、
「帝のお渡りがないのは私のせいですの?」
「帝のお渡りがあるよう知恵を絞っておるのは私でございます」
刺々しい……しかし入内前に危惧したとおり、彰子は内裏で孤独な日々を送っている。自分の不承知を押し切って入内させた、そして内裏にいながら娘のもとに帝のお渡りがあるよう具体的に働きかけていないように見える夫に、静かな怒りを抱くのは無理もない。
母として胸を痛め、母としてなんとかしようと踏ん張る倫子に同情してしまう。
病悩ますます深い女院・詮子(吉田羊)が道長に「敦康親王(高橋誠)を人質にしなさい」と促す。
兼家と同じ発想だが、皇后である母・定子を亡くした敦康親王にとっては現中宮・彰子という後ろ盾を得ることができるし、お渡りなく寂しい藤壺は幼い親王を迎えてにぎやかになる。帝は定子の忘れ形見に会うために藤壺を訪れるだろうし。いまのところ、全方位的に悪い案ではない。
さっそく彰子の膝にポッスンと座ってニコニコと笑う敦康親王と、微笑み返す彰子。そういえば、実家である土御門殿では幼い弟妹に囲まれた姉だった。親王が人懐っこい子でよかったよ……。
『源氏物語』『あさきゆめみし』のファンとしては、ここが藤壺であること、帝の寵后の忘れ形見がそこで帝の現后と共に過ごすことにドキドキしてしまうのだが、大丈夫ですよね? このドラマ、ものすごいフィクションを入れてくるので油断できないのだ。
伊周と隆家
伊周(三浦翔平)に厳しく舞楽の指導を受けている彼の長男、松君(小野桜介)。
17話(記事はこちら)で伊周に「家にいると子が泣いてうるさい」と言われていた長男ではないか。このドラマでどこまで描かれるかわからないので今回書いておくが、この子もこれまで登場した人物たちと同じく、『小倉百人一首』の歌人のひとりである。
藤原道雅
今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな
(今はもう、この恋を諦めなければならなくなりました。それをあなたに直接お伝えしたいのです……その手段があればよいのに)
激しく悲しい恋の歌を残した人物だ。よく知られていて、この歌が好きだという方も多いのではないだろうか。大人になり愛してはいけない女性を愛した彼も、ドラマの中ではまだいたいけな少年である。子どもが怯えているのは胸が痛むので、伊周も鬼指導は勘弁してあげてほしい。嫡妻・幾子(松田るか)の言うとおり。
権力の座復帰へ躍起になる兄を軽口で諫める弟・隆家(竜星涼)に伊周が、
「なぜこんなことになったのだ。……お前が院に矢を放ったからであろう」
あっ、気づいてたんですね。こうなったのは道長のせい! と憤っていたから、てっきり弟の不始末は忘れているのかと思っていた。それにニヤリとして「そこに戻る?」と返す隆家、メンタルつよい。見習いたい。
そして伊周を頼り『枕草子』を宮中に広めてほしいと願う清少納言……25話(記事はこちら)では「これが評判になれば中宮様の隆盛を取り戻すことができる」と言う伊周に「それは中宮様のためだけに書いたもの」と抗う意志を見せた彼女だったが、定子亡き今、道長に報復するために自ら作品の政治利用への道へ踏み出してしまった。
ふたりの妻、ふたりの母
東三条院詮子四十賀! 嬉しい映像化である。しかし、優雅ではあるがこんなにギスギスした現場になるなんて。
ここで道長の息子たち──倫子の長子・田鶴(三浦綺羅)が「陵王」を、明子(瀧内公美)の長子・巌君(渡邊斗翔)が「納蘇利(なそり)」を舞ったことは『権記』『小右記』にある。特に『小右記』では、巌君の「納蘇利」について「とても雅やかで、優れていた」「帝は感動された」「感嘆して涙を拭う者が多かった」と絶賛された様子を伝えている。
ドラマでは明子の兄・源俊賢(本田大輔)が涙を流しているが、これは赤ん坊の頃から見てきた甥っ子が大舞台で立派に舞っているのを見て感動しているのかもしれない。
わかる。親戚の子に対してそういうこと、あるよね。
松明の炎がバチバチと爆ぜる音に合わせて、道長のふたりの妻、舞い手のふたりの母が微笑んで会釈を交わす……心の中はバチバチと火花が散っている。
「さすが道長の子だねえ」と道綱(上地雄介)は呑気に褒めるが、こういうとき直接養育に携わっている母親は褒められないんだよなあ! という図だった。
帝が賞賛し巌君の舞の師匠の位を上げたために、泣いてしまう田鶴。大丈夫だよ、あんなに複雑な舞をやり遂げたのだもの。正直言うと私、巌君の舞との差があんまりわかってない!招待客の反応で巌君がとても上手いんだろうなとは想像したけれど、どっちも上手だったとしか! 声をあげ悔し泣きをする田鶴に(あらあら。そちらの若君はこうした場で粗相をするような教育をしていらっしゃるの……?)という顔まで、明子の倫子への無言の煽り力が凄かった。
詮子の最期
体調不良で倒れてもなお、帝に帝としてのふるまいを説く詮子……道長に伊周の位を戻すよう頼むのも、彼の恨みが帝に向かわないようにするため。病で苦しむ自分のためではなく、
どこまでも母として、息子・一条帝を思ってのこと。
薬湯を拒否したのは、4話(記事はこちら)で父・兼家(段田安則)によって円融帝(坂東巳之助)に毒が盛られていたと知り、薬など生涯飲まぬと宣言して以来、誓いを守ってきたから。円融帝に対して一族が犯した罪を、自分の身で贖うつもりだったのかもしれない。
愛が深い人で、それゆえに息子・一条帝とは深い断絶が生まれてしまった。それでも、最期まで帝を案じ続けた。徐々に弱ってゆく呼吸、そのなかで絞りだす言葉。吉田羊の芝居が見事だった。詮子……お疲れさまでした。
伊周が暗い情熱を注ぎこみ行う呪詛は道長本人を害するのではなく、道長の家族間に不和の根を張り、彼を長年後押しした女院・詮子を奪ったように見える。
兼家の恐ろしい部分を引き継いで政を動かしていた詮子がいなくなれば、道長が担わねば一族を守れない。26話(記事はこちら)での詮子の台詞「道長もついに血を流す時が来たということよ」。姉の死によって、その時が本格的に到来ということなのだろうか。
ついに紫式部が!
賢子に『竹取物語』を読み聞かせる、まひろ。漢詩への反応はいまいちでも物語は喜ぶ。
「ははうえー、つづきはぁ?」
かわいいっ! こんなふうに喜ばれたら物語を次々と与えたくなってしまう。
清少納言の『枕草子』が一条帝の手に渡り、表舞台に躍り出たとき、のちの紫式部……まひろが物語を書いてみようと思い立つ。そのとき、歴史が動いた!
次回予告。安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)儀式! ていうか彼、ようやくおじいちゃんの風貌になってない?(長保3年で80歳)。倫子が一条帝に直訴。道長と公任(町田啓太)、斉信(金田哲)に髭生えてる。惟規(のぶのり/高杉真宙)が姉disる。まひろ……娘に厳しく勉強教えてない? 公任「面白い物語を書く女がおるようだ」それってまひろのことですか!? 「あつさぞまさる……」和泉式部(泉里香)だ! すごくモテそうな和泉式部出てきた! 道長、倫子に「お前はどうかしている」夫婦喧嘩やめて。晴明「あなたさまを照らす光にございます」まひろのことですか? まひろ宅で火災発生!
30話も楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、吉田羊、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
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