平井真美子さん「母も今、本来の自分に還っているところなのかも、と」【助け合って。介護のある日常】
撮影・井出勇貴 構成&文・殿井悠子
「 “いま、そこにある” 感情に、目を向ける。」平井真美子さん
ポツポツ、しとしと……窓の外から聞こえてくる雨の音や、木々を揺らしながら横切る風の音。ときには、荷物を運んできた配達員のインターホンの音も。
ピアニストの平井真美子さんが、日々の中で「いま、このとき」聞こえてくる音やシーンに、感じるままにピアノで音をちりばめたスケッチが短篇曲『とあるひ』。
平井さんは幼少期から、うれしいときも悲しいときも、ピアノで曲を創作して気持ちを表現してきた。
「『とあるひ』は、ただそこにあるものやそのときに芽生えた感情を綴った音の記録。その連なりは楽曲のように聞こえてくるけれど、文脈はないんです。しっかり構成を作り込んだ曲も、こんなふうに素直に感じた音が出発点。だから『とあるひ』の制作は、自分自身の原点に立ち返るような作業でもありました。大人になるにつれて、いつの間にか備えてきた自分を守る殻を一枚一枚剥がしながら無垢な音を求めていく中で、ふと、母も今、本来の自分に還っているところなのかも、と」
平井さんの母の育子さんは、現在初期の認知症だ。
認知症は、短期の記憶がなくなるけれど感情はいつまでも残る。問題行動とされる原因の多くは、負の感情がきっかけともいわれている。
育子さんは、症状が現れはじめた当初、葛藤や不安からか癇癪を起こしていた。でも最近は、平井さんに「わからないから、お父さんにいろいろやってもらってんねん!」と、すっきり話すようになったという。そばにいる父親の真一郎さんが家事を担うようになり、安心したのかもしれない。認知症ではその時々の感情の積み重ねが、不安を解消したり、穏やかな気持ちを育んだりするのだ。
「今は、父に多くを任せています。娘として母とどんな時間を過ごしていくか。私自身の人生を軸に手が届くことをしていくという、ある種の覚悟は必要な気がします」
と平井さん。
平井さんには兄と姉がいる。それぞれが自分の基準を持って暮らしている。「これからのことを話したい」という平井さんの呼びかけで、今年の夏は久しぶりに京都の実家に家族が集まることになった。
「父が倒れて共倒れにならないように、母が気持ちを言える間に家族会議を開き、お互いの思いや希望を共有しておきたい。親として子として、できることからひとつずつ、丁寧に。そのときも、理想を求めすぎて自分の気持ちを見失わないように“いま、感じている”素直な感情に目を向けて。それが理解を深める第一歩だと思います」
『クロワッサン』1120号より
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