『波打ちぎわの物を探しに』著者、三品輝起さんインタビュー。「物を通して世界を見つめたエッセイです」
撮影・石渡 朋 文・鳥澤 光
「物を通して世界を見つめたエッセイです」
《それまでは雑貨とみなされてなかった物が、つぎつぎと雑貨に鞍がえしている》と書いた『すべての雑貨』で、世界の雑貨化という現象を、おそらくは世界で初めてあぶり出してみせた三品輝起さん。
東京の西荻窪で雑貨店『FALL』を営みながら、文芸の世界にゆらりと狼煙を上げたデビュー作から、雑貨と物のニアリーイコールな関係を凝視した『雑貨の終わり』まで3年。さらに3年をかけて、3冊目となる『波打ちぎわの物を探しに』を書き上げた。
「前作のタイトルに終わりとつけてしまったから、次は雑貨を掲げるわけにもいかないな、という妙な自意識もあって今回はこの書名になりました。平出隆の『鳥を探しに』という、辞書のような小説への憧れもこめています」
文章のほとんどを店の帳場に座って書いたという青い本は、タイトルも、それに響き合う深い色合いの装丁も美しく、エッセイの読み心地に、社会への評論的視点と柔らかい思想が染みとおり、文芸作品のような言葉が包まれている宝箱のような一冊だ。
「半径10メートルほどの自分の店からはじまる観察も、雑貨化という通路を経ることで地球を巡る資本にまで到達できる!と発見したのが1冊目を書いたころ。全能感にも似たその感覚はすでにありません。以来、何を書くか悩んでいましたが、物について、所有について、そこにかかわるインターネットやテクノロジーを語るための通路を見つけ出したいという思いで書き進めていきました」
物を手に取り、思考を見つめ世界の仕組みを考えてみる。
「雑貨屋」と自らを呼称する三品さんが、テクノロジーを語るために選び取られたのが、「身近にインターネットがなかったころのメディアと自身の記憶を起点に、原理的なところから考えてみる」という視点だという。
「インターネットの波打ちぎわで」と題された、本の背骨のようなエッセイでは、メルカリの操作性が、《買うことと売ること、売ることと買うことの区分けを曖昧にして(…)古い所有感覚を一掃しつつある》と指摘する。
ミランダ・ジュライの文章と映像作品への考察が、《ワールド・ワイド・ウェブの無限のつながりは、語りつくせぬ奇跡や喜びとひきかえに、時のいたずらや手ちがいによってもたらされる根拠のない偶然の出会いを、どこか遠くへ追いやりつつあった》という実感を呼び寄せる。
そうしてアニエス・ヴァルダの映画が、トマス・ピンチョンやアリ・スミスの小説が、都築響一や松岡正剛の仕事が取り上げられ、雑誌やサブスクリプションが俎上にあげられる。空間の市場化と断片化のうねりが資本に結びつけられていくさまが描き出され、暮らしの基盤となる世界の見取り図が鮮やかに更新されていく。
「境界線上を、悩み、往還しながら生活する人にふと思い出して読んでもらえるような、スルメみたいな本になったらうれしいですね」
『クロワッサン』1115号より