榊原郁恵さんの温かな笑顔の秘訣、「つらい時、人の力の大きさをあらためて感じました」。
昨年の最愛の家族との別れを経た今、そしてこれからのことを聞いた。
撮影・玉置順子(t.cube) ヘア&メイク・加藤京子 スタイリング・西脇智代 文・嶌 陽子
人と言葉を交わし触れ合うことで、つらいことだって、乗り越えられる。
見ているだけで元気になれる、はじけるような笑顔。デビュー以来、多くの人々を魅了してきた榊原郁恵さんの笑顔は、この日も健在だった。
溌剌とした佇まい、朗らかな笑い声は、64歳になった今も変わらない。健康のために続けている習慣を聞いてみると、「計画を立てても続かなくて……」という答えが返ってきた。
「家にいると次から次へとやることがあるので、なかなか自分の時間がとれないんですよね。ずっと続けていることといえば、毎朝プロテインと青汁を飲むことくらい。あとは食事を用意する際に『まごわやさしい』を意識して、なるべく栄養のバランスをとるようにしていることでしょうか」
長年、芸能活動と並行し、一人の主婦として家を切り盛りしてきた郁恵さん。家ではゆっくり座ったり横になったりすることはほとんどない。常に立ち働いているのは、母親が常々口にしている「その手、その手よ」という言葉が頭にあるからだという。
「たとえば掃除をしている途中で片づけなくちゃいけないものが目に入ったら、後回しにせず、掃除をしているその手で片づける、ということ。母自身が実践してきたことが、いつの間にか私の習慣にもなりました」
特別な運動などをせずとも、そんな日々の積み重ねが、きっと今のすこやかな心身を作り上げているのだろう。
もう一つ続けているのが、日記をつけること。子どもの成長記録のために始めた10年日記は、もう3冊目になった。時には書くことで自分の気持ちを整理し、時には愚痴を書いてすっきりすることも。日記は、自分と向き合う大事なツールになっているようだ。
「読み返してみると、愚痴は殴り書きだけれど、決意を書いている文字は小さくてもしっかりとしているんです」
また、たとえ悩み事があったとしても「夜には考えず、翌日に持ち越す」のがポリシーなのだとか。
「今までの経験から夜に考えると絶対に良い結果にならないと分かっているので。翌朝、太陽が明るい中であらためて考えると、まあいいかって思えることも多いんです」
温かな笑顔の土台にあるのは、こんな大らかな姿勢なのかもしれない。
50代で始めた野菜づくりは何より仲間との交流が楽しくて。
取材した日は、ちょうど1年にわたって出演していた舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』が終わって間もない頃。舞台期間中は忙しい日々が続いたため、十数年続けてきた趣味にいったん終止符を打ったという。
50代に入ってから始めたその趣味とは、畑を借りての野菜づくり。忙しい中、なぜ畑仕事に携わろうと思ったのだろう。
「10代で芸能界に入って以来、ずっと仕事ばかりしてきたので、あらためて何かを学んでみたいと思ったんです。JAの農業塾に2年間通って勉強したんですが、修了後もまだ続けたいと思い、農業塾で知り合った仲間たちと畑を借りて野菜を栽培することに。週に1度は“畑の日”にして、野菜の世話をしに通っていました」
自然の中で土に触れ、汗を流す体験は本当に楽しかったと話す郁恵さん。長年続けてきた芸能界での仕事とは、また違った感覚も得られたという。
「もちろん舞台やテレビの仕事でも先輩たちにいろいろ教えていただいて成長できるんですが、一つの現場が終わると別の現場での仕事が始まるので、一旦リセットされてしまう感覚があって。野菜づくりを10年以上続けたことで、積み重ねる喜びのようなものを知ることができました」
ゼロからの野菜づくりには、当然失敗もつきもの。笑いながら披露してくれたのはこんなエピソードだ。
「きゅうりの苗1株から数十本のきゅうりが収穫できるとは知らずに、10株くらいまとめて植えようとして『一生分のきゅうりを食べるつもりなの!?』なんて言われたり(笑)。農家の方々の現状も知るなど、全てが学びでした。
何より、芸能界以外の人たちとのつながりができたのがうれしくて。年上の人に注意されるのもありがたかったし、皆で他愛もないおしゃべりをするだけでも楽しかったんです。私にとっては野菜づくりだけでなく、人間づくりともいえる大事な期間だったと思います」
夫の置き土産となった朗読劇を長男と2人で実現すると決心。
さまざまな人と触れ合い、コミュニケーションを取る。それが、郁恵さんの活力を生み出す大事な要素の一つだ。
「素直な気持ちで相手に向き合えば、年齢に関係なく良い交流が生まれて楽しく生きられるはず。これは、夫が実践していたことでもあるんです」
その夫の渡辺徹さんが病のため急逝したのは昨年11月。突然の荒波に飲み込まれそうになる中、心を支えたことの一つとして、やはり周りの人々との触れ合いがあった。
「その頃はまだ舞台に出演中の時期だったので、自分の身を置く場所がぶれずにあり、そこにいる人たちと言葉を交わせることがありがたかったです。当たり前過ぎて見落としそうな日常の大切さをあらためて感じましたし、人の力って大きいなと思いましたね」
とはいえ、35年間を共にしたパートナーを失ってまだ半年あまり。これまでと違う生活をどう過ごすか、今も模索は続いている。
「自分だけで考えて堂々めぐりになっていたことでも、夫に話すことで風穴が開くみたいなことがよくあったんですよね。寝る前に夫と何げない会話を交わすことが、一日を締め括って次へと向かうためのよいリズムになっていたんだけれど、それがなくなってしまって……。今はそれに代わるいい一日の締め括り方を探っているところです」
一方、最近は夫に代わって2人の息子たちが以前よりぐっと頼りになる存在に。母親としてだけでなく、一人の人間として接することも増えたと話す。
「2人ともすごくしっかりしてきたなと感じています。次男は私の話の聞き役になってくれて、そういえば夫もそうだったな、夫に似てきたなって」
11月には長男で俳優の渡辺裕太さんと共演する朗読劇『続・家庭内文通』が控えている。実はこの朗読劇、徹さんと3人で出演するはずだった。一昨年、徹さんの還暦&俳優40周年を記念し、親子3人で共演した劇の第2弾で、全国で上演しようと準備していたのだ。
「中心となるはずの夫がいなくなってしまって、もうできないかなと思っていたんですが、周りの方々の力を借りながら頑張ってみることにしました。何より『諦めない』というのが夫のポリシーでしたしね。何かトラブルが起きても『ありがたいじゃないか』って受け止めて、それを乗り越えるのが好きな人でしたから。私もそれを真似していこうと思うんです」
人との触れ合いを大切に、どんな波も乗り越えて。ずっと大切にしてきたことを土台に、亡き夫の生き方も引き継いで前に進む郁恵さんは、きっとこれからも太陽のような笑顔を私たちに見せ続けてくれるだろう。
『クロワッサン』1099号より
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