『小説小野小町「百夜(ももよ)」』著者、髙樹のぶ子さんインタビュー。「歌を手がかりに辿った、小町の人生です」
撮影・岩本慶三 文・中條裕子
「歌を手がかりに辿った、小町の人生です」
小町の名誉を回復したかった、と髙樹のぶ子さんは語る。
確かに、この小野小町はこれまで世に長く広く浅く伝えられてきた姿とはまるで異なっている。しっかりと実存感のある人間として描かれていて、読後、まるで目が開かれるような思いなのである。
巷間知られているのは、男を惑わせてきた美女が老残をさらし彷徨う、能楽などに登場する小町だった。が、それはあくまで後の世の男たちによって作られた像、と髙樹さん。
「美女で恋愛はやり放題、かつ男の言うことを聞かない。天罰のごとく最後は落ちぶれて野垂れ死ぬ、という男たちのイメージが進んでいってしまったんでしょうね。けれど、歌をじっくり味わいながら、それは違うと思ったんです。これだけ気丈で、美に関して正しい目を持った女性が、そんな落ちぶれ方をするわけがないと確信に変わっていって。小野小町の名誉回復をしなければという気持ちに駆られ、書きました」
歌をよすがにきちんと人生を最後までフォローしていって生まれたのが、この小町の姿だった。
残された歌を辿っていって、紡がれた小町の生涯とは。
物語の始め、幼い小町は生まれ育った秋田の地を離れ、父親である小野篁(おののたかむら)が待つ京へと旅立つ。恋しい母から引き離され、勝手知らぬ土地で戸惑う小町を慰めたのは、己の心を託し表せる歌だったのである。
遺された歌を丁寧に読み解き、人間としての小町の生涯を紡いでいくにあたっては、苦労もあったという。
小町の歌が大まかに前期、中期、後期と分かれているというのは定説であっても、それぞれがどういうシチュエーションで詠まれたかは不明なため、そこは想像の力で補っていくしかなかった。
「それだけ自由自在であったと同時に、大変でもあった」と髙樹さん。
「でも歌がリードしていってくれるというか、人生の一里塚のように置いていってくれているのを、私は1100年後に辿ったら、こういう人生が描けたということなんです」
一見華やかに思える宮廷。だが、女性が出歩くことすら制限された窮屈な平安の世で、たくさんのままならぬことに翻弄されながらも小町はただ真っすぐに生きた。
「哀しみを抱えて生きていった人だと思いますよ。でないと、ああいう優れた歌人にはなれない。雅と哀れという情感が人生を貫いてあったのだと思います。思うに任せぬことにどう向き合っていくのか、そんなとき、豊かに哀しみで包んで抱えていく力が小町にはあったんだと思います」
幼かった小町は、いつしか歌の力で宮廷のスターとして知られる存在となる。物語の終盤、その最期は「いい人生だったねって言えるような終わり方にしたかった」という言葉のとおり、読んだ人の一人一人に深く心に刻まれる。
そうして、“身は朽ちても歌の言の葉は生のままに幾千年も生き長らえる”ーー物語の中で語られるその台詞が、余韻として残るのだ。
『クロワッサン』1094号より