東京の牛乳とチーズ、2人の作り手が語り合う、土地の個性「テロワール」。
その味は風土や原材料の生乳の質、作り手の個性で決まります。
撮影・小林キユウ 文・三浦天紗子
東京・青梅で乳牛を育て、牛乳を生産している大東農場のオーナー・影山正和さん。鶴見和子さんは影山さんの酪農哲学に魅了され、大東牧場の生乳を含む東京牛乳を使って「青梅のナチュラルチーズ」を製造、販売しています。
東京の自然の中で、食べものを作る。その意義や楽しさはどこにあるのでしょうか。対談は、大東牧場で搾った生乳のホットミルクをいただきながら、始まりました。
鶴見和子さん(以下、鶴見) (ひとくち飲んで)濃い! 甘いですよね。
影山正和さん(以下、影山) そのままで美味しいでしょう。何年前でしたかね。最初、鶴見さんが「酪農を見たい」と言って、うちを訪ねていらして。
鶴見 チーズをテーマにしたBSの番組に出ることになったときですから、2年くらい前ですか。私がホスト役で、会いに行く何人かのゲストの中に影山さんのお名前があったんです。うちの工房に牛乳を納めてくれている牧場を見てみたいと、ずっと思っていたので、渡りに船で。
来てみたら、牧場に自然に生えている青草も自由に食べさせていると知って、そこがすごく気に入ったんです。うちの自家製乳酸菌の質がいいのは、牛がそうした環境で飼われているからいい微生物を摂っていて、乳酸菌にも影響しているのかなと思っているんですよ。
影山 うちは牛舎につないで飼料だけ食べさせているのではなく、外飼いにしていますからね。牛舎に入れるのは朝と夕方の搾乳のときだけです。あと、牛や管理者の安全を理由に、除角と言って角を小さいうちに切ってしまうんですが、うちでは可哀想なんでやっていません。除角しないほうが、寿命も長いように思いますね。
鶴見 飼料のトウモロコシも、影山さんがご自身の畑で作ったものを使うと聞いて、驚きました。
影山 ただ近年、夏があまりに暑いでしょう。そうすると牛がへばっちゃって、生乳の量にも濃さにもちょっと影響が出ます。乳牛のホルスタイン種はヨーロッパが原産ですから、暑いのは苦手なんですよね。脂肪分も食欲旺盛な冬のほうが高くなります。
鶴見 チーズ作りも、夏より冬がうまくいきます。工房は温度を一定にしているので、やはり原材料なのかなと。
影山 牛乳の味やコクって、やはり鮮度なんですね。多摩の40ほどの酪農家による「東京都酪農業協同組合」(以下、東京酪農組合。影山さんは筆頭理事)が集乳した生乳は、出荷して、地元の「東京牛乳」の工場に届くまで1時間ほどです。多くのメーカーは、集乳したその日にではなく、一旦タンクに貯めた後に加工するのですが、「東京牛乳」は新鮮なうちに製品にするので、消費期限も長いですよ。
鶴見 輸送距離が短いのが、鮮度のポイントですね。
影山 安い牛乳ってあるでしょう。乳脂肪分が3.5以上あれば、一応飲料乳として流通させる基準は超えています。ただ、もし生乳の段階で4.0あれば、0.5の脂肪分を抜いてチョコレートだの他の材料に回せる。
鶴見 その点、東京牛乳は最低3.9と言ってますね。もちろん一概に濃ければいいわけではなくバランスが大事なのですが、安定して美味しいです。
土地の個性「テロワール」を大切にするふたり。
影山 鶴見さんはなぜ、青梅でチーズ工房を始めようと思ったんですか。
鶴見 青梅は両親が住んでいたんですが、工房を青梅でやろうと思ったのはわりと偶然で、東京牛乳のホームページにぶち当たったんですね。「わあ、東京で牛乳作っているなら、それが使える!」と思った。原料探しはいちばん大切だからで、それで青梅に決めました。
私は最初、チーズのラベルが読みたいと思って語学留学でフランスに行ったんです。途中から作るほうの学校へ行くようになって、ノルマンディー、ポワトゥー=シャラント、ブルゴーニュとジュラというスイスに近いほうと……あちこち。結局、5年くらい向こうにいたんです。
帰ってきてチーズの卸の会社で働いたのですが、やはり作りたいと。それでハローワークで「チーズ製造員募集」を見つけては応募したんですが、片っ端から落ちてしまったんですよね。
影山 落ちた? 本場でそんなに勉強されてきたのに……?
鶴見 逆に、煙たかったんでしょうか(笑)。ただ、青梅で酪農をやっているところがあるのもわかったので、もう自分でやるしかないなと、見切り発車ではあったのですが、起業したのが8年前です。そのころは、関東地域の生乳を受託販売する組織を介さないと生乳が買えなかったんです。
影山 そうでしたね。でも3年前から制度が変わりました。
鶴見 酪農家の自家消費分を直接取引してもいいよとなって、うちも東京酪農組合を通して関東生乳販連から買えるようになりました。おかげさまで少しずつですが、「テロワール」をチーズ作りで表現できるようになってきたのはうれしいです。
テロワールはフランス語特有の言葉で、農作物が生産されるときの地域性みたいな概念なんですね。土壌や気候などの環境が複合的に、農作物の味や品質などの個性をもたらす。
テロワールの精神を強く学んだのはジュラで、コンテというチーズがあって、コンテはもう地元のみなさんが誇りを持っていて、品質を守るために牛乳の生産から熟成から全部に厳しい規定があります。大東農場さんの生乳の美味しさも、テロワールの賜物だと思います。影山さんはいつから酪農を?
影山 父が始めて、私も16歳くらいから手伝いはしていましたね。この青梅のあたりは戦後の入植地で、最初は畑で野菜を作っていました。ただ酪農は、昭和30年代に「収益が上がる」農業として急激に発達したんです。
鶴見 それはなぜですか。
影山 特に東京は人口が多くて需要がどんどん伸びたけれど、当時は冷蔵庫もそれほど普及していない。いまでこそ、酪農の主流は地方になってしまったわけですが、当時は都会のすぐ隣で牛乳を作る必要があったんですね。
鶴見 影山さんは、学生時代から跡を継ぐ気はあったんですか。
影山 保護猫の活動をやっているくらいの動物好きなものですから、獣医なんかも夢でしたけれど、家に牛はいるし、いちばん父と仲が良かったのが私だったのもあって、そうなりました。
20年ぐらい前、東京酪農組合が組織されたころは、都内の酪農家も120軒以上あったんですが、いまは3分の1くらいに減った。「東京牛乳」は、生産量では対抗できないので、将来的な生き残りをかけて、品質で差別化しようと、全部を「A2ミルク」にしようという試みを始めています。
鶴見 A2ミルクだけになったら、牛乳を飲むとお腹がゴロゴロして……と敬遠していた人も飲めますね。
影山 生乳の乳タンパク質はカゼインとホエー(乳清)で構成されていて、カゼインのうち、βカゼインは、A1とA2、2種類の遺伝子があります。A1とA2のどちらをどれだけ含むかは乳牛によって違い、A1遺伝子が入っていなければ、下痢などの心配のないお腹にやさしい牛乳になります。
鶴見 国内外で一部ではすでに作られていますが、そのためにはすべての牛に遺伝子検査をして、A2遺伝子同士で掛け合わせないといけない。
影山 牡牛の精子を遠心分離して、A2の精子だけを使う。ある程度お金をかければこれができるのは、東京酪農組合の規模だからであり、普通の県単位の酪農組合では無理でしょう。東京酪農組合と協同牛乳とがタイアップして、いま品種改良中です。なかなか大変ですが、来年ぐらいには目処をつけたいですね。
鶴見 牛乳のβカゼインの割合はカゼイン全体の3割弱なんですね。ヤギ乳だとβカゼインがほとんどなのでもしかすると改良したときにチーズへの影響があるのかもしれないですが、「東京牛乳」の牛が全部A2になったとしても、ほとんど変化はないかなと。もちろん長い目で見てみないとわからないですが。
影山 チーズ作りは、やはり、生乳の鮮度だけではなく、脂肪分や成分、天候や気温の変化などなど、さまざまなものが作用するのでしょうね。
鶴見 影山さんの搾る生乳も、毎日搾っていてもいつも同じではないはず。チーズも、乳酸菌が一定していれば味は安定しますが、毎回同じものはできない。面倒くさいけれど、そこが面白い。影山さんもそうではないですか。
影山 生き物相手で365日の仕事になりますので、なんだかんだ言っても、好きじゃないとなかなかね。牛は知らない人には非常に警戒心が強いんですけれども、毎日面倒を見れる私なんかのことは覚えていて、非常に懐きます。可愛いですよ。
鶴見 そういえば、影山さんの牧場にはホルスタインしかいませんね。他の種類の牛は入れないんですか。
影山 そうですね。種類もそうですが、仕事としてもシンプルにやりたい。体験牧場やレストランを併設したりする独自産業化を国も奨励しているし、実際にやっている農家さんもけっこういます。けれど、私はやっぱりちょっと違うんじゃないかと。「もう年だから、酪農は趣味」なんて言っていますが、半分本音ですね。あくまでも、人が飲食する、人の口に入るものを生産しているいまの仕事に誇りを持っていたいなあと思いますので。
大東牧場の生乳だけを使い、特別なチーズを作るのが夢。
鶴見 もし影山さんが「うちの牛乳だけで何か特別なチーズを作りたい」とおっしゃったら、腕を振るいますよ。
影山 「月に一度このくらいここに生乳を売ります」と申請さえすれば直接売ってもよくなったので、プレミアム製品にできます。
鶴見 そうなったら、海外輸出ができる可能性があるんですよ。いまは海外輸出をしようと思うと、生乳生産者さんの申請が必要です。生乳を個別に買っているならチーズ製造側でもできるのですが、うちみたいに合乳している場合は生産者さんが申請をしなければいけない決まり。もし影山さんが申請をしてくださって許可が下りれば、私は輸出用のチーズが作れるようになる。
影山 お店の代名詞でもある「フロマージュ・ドーメ(ドーメ=d’Ome、「青梅の」の意)」を作るのに、どれぐらい生乳が必要なのですか。
鶴見 20リットルで15個できます。1個につき1.3リットルぐらいかな。地元醸造の小澤酒造の日本酒を使って洗い、熟成させて、できあがるまで1カ月くらいですね。
影山 海外輸出はともかく、たとえばそれをうちの牛乳だけで作ったら、どんなチーズになるのか、私も興味があるし、本当に何かやりましょうかね。
鶴見 ステキですね。楽しみです。
●東京チーズ工房 フロマージュ・デュ・テロワール
2014年創業。店舗のショーケースには、テロワールにこだわった手作りチーズが並び、どれも美味しそう。オンラインショップでも購入可能。https://www.fromagesduterroir.jp
『クロワッサン』1084号より