早替わり、ぶっ返り、宙乗り…。歌舞伎の醍醐味を味わう傑作7選。
イラストレーション・辻村章宏 文・佐藤博之
「早替わりはオモテナシだよ」
亡き父・十八代目中村勘三郎からこう教わったと、一人で三つの役を早替わって魅せる『怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)』の会見で中村勘九郎は言っていました。
なるほど傑作と呼ばれる歌舞伎作品には観客を喜ばせる演出が詰め込まれています。そして、あっと驚かされる早替わりや宙乗りといったケレン味溢れる作品には興奮を覚えます。“ケレン”とは観客を驚かせるための歌舞伎独特の大胆な演出のこと。常連も初見の客もその“オモテナシ”でたちまち心をわしづかみにされてしまうのです。
江戸時代に生まれた歌舞伎は、多ジャンルの芸能を自分流にアレンジして取り込んでしまう柔軟性があります。能や狂言、人形浄瑠璃や、多種多様な音楽に舞踊、最近では漫画やアニメを原作にした新作歌舞伎が誕生しています。
作品の種類も、同時代の庶民の生き様を題材とした“現代劇”である「世話物」では、遊郭や恋愛、心中、強盗、殺人など刺激的な内容が多いのが特徴。江戸時代以前の物語は“時代劇”ですので「時代物」と呼ばれ、公家や武家社会の事件、お家騒動をテーマとした壮大な作品。そのような古典を継承する一方で「新作」も生み出し続け、義太夫、長唄、常磐津、清元など様々な音楽と共に、舞踊作品も多彩なレパートリーがあります。
400年の歴史を誇り、千を超える作品の中から誰が観に行っても楽しめる作品をご紹介します。
豪快なぶっ返り【一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)】
【茶屋の椅子をシーソーにして遊んでいたお殿様が 一転、キリリとした姿に!】
志村けんのバカ殿様のモデルになったといわれているのがこの『一條大蔵譚』。
源氏の血を引き、武芸に秀でた一條大蔵は、時の権力者・平清盛に命を狙われぬよう阿呆のフリをした“作り阿呆”を続けています。
清盛から“払下げ”になった妻の常盤御前は源義経の母。常盤は楊弓の的の下に清盛の似顔絵を貼り、心密かに平家転覆を願っています。しかし、その願いを清盛に内通する悪臣・八剣勘解由(やつるぎかげゆ)に知られてしまいます。
そこへ御簾(みす)の陰から突如として長刀が。勘解由をしとめたのは、本性を現した大蔵でした。
一瞬で衣裳が替わる“ぶっ返り”は、歌舞伎ならではの早替わりの手法。後見が裾を後ろから広げ、掲げ上げて決まる見得は、孔雀のような華やかさ。
歌舞伎らしい格好良いオチでラストは決まり、スッキリ上機嫌での幕となります。
圧倒的な早替わり【慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)(伊達の十役(だてのじゅうやく))】
【早替わり劇の代名詞的復活狂言。そのスピードの速さについていけるか!?】
三代目市川猿之助(現・猿翁)が約150年ぶりに復活させた伊達騒動ものの復活狂言。実際に江戸時代の仙台藩伊達家で起きたお家騒動をもとに、家老一派がお家乗っ取りをはかって藩主を隠居、後を継いだばかりの幼い藩主も毒殺しようとする。『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』で有名な話です。
猿之助は我が子を犠牲にして幼君を守る難役・乳人政岡(めのとまさおか)から、政敵の家老・仁木弾正(にっきだんじょう)など十役を早替わりで一人で演じきります。
サービス精神旺盛な猿之助は、序幕の前にパネルを使い、主役本人による人物相関図などの解説を加えました。この演出はその後演じた松本幸四郎や市川海老蔵にも引き継がれています。
大鼠が出てきたり、屋敷が一気に崩れさる“屋体崩し”に“宙乗り”と、見ごたえ続きの大作です。
華麗な立廻り【日本振袖始(にほんふりそではじめ)】
【『古事記』でおなじみスサノオ、ヤマタノオロチ、岩長姫が華やかに立廻り。】
神話に題材をとった舞踊劇。出雲の村では年に一度、ヤマタノオロチを恐れ、人身御供を捧げます。この年は稲田姫という可憐な美女。そこへ現れた岩長姫は、八つの瓶に満たされた供え物の酒を毒入りとは知らず悦に入って飲み干します。毒を入れたのは、稲田姫の婚約者・スサノオノミコトの策略でした。
岩長姫の正体は、なんとヤマタノオロチ。女性が女性を襲うという斬新なアイデアが光ります。
岩長姫は顔に恐ろしい隈取(くまどり)に金と黒の三つ鱗の衣裳を着たヤマタノオロチとなって再び登場するのですが、歌舞伎では打杖を手にした八人の役者が連なり、一体となって表現します。動きのある立廻りの途中で静止してポーズを見せる“見得”は、形が決まるとまるで江戸時代の錦絵そのもの。歌舞伎の様式美をどうぞご堪能ください。
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