「不安を鎮める想像力を養う」。劇作家・長塚圭史さんが選ぶ、今読みたい本。
撮影・黒川ひろみ(本)
長塚圭史(ながつか・けいし)さん
劇作家、俳優、演出家。1996年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ。2017年、「新ロイヤル大衆舎」結成。神奈川芸術劇場芸術参与。
『南部高速道路』は場所をパリから日本に置き換えて舞台化したこともある短編。高速道路で起きた渋滞が2時間経っても、24時間、1週間、1カ月経っても解消されぬまま、しかし時折少しだけ動きがあるために車から離れることも出来ず、隣り合わせた車の車種を屋号のように呼び合いながら、路上に生活感溢れるコミュニティが出来上がってゆく。人間の習性を見るようである。もちろん弱さやずるさも露呈されるが、順応する逞しさが目を引く。
いつの間にか日常から異界に連れ込む様は、瞬く間にコロナ禍に連れ込まれた世界を思う人もあろう。また緊急事態宣言解除の後の、人々が粛々と日常生活に戻って行こうとする様も重なってくる。優れた幻想小説には我々の営みを俯瞰する強い力を持つものがあるからおもしろい。
空間や時間を超えて思いを馳せること。
映画にもなった『チャリング・クロス街84番地』は、1949年、ニューヨークに住む古本好きの脚本家へレーンが、新聞広告で見つけたロンドンの古本屋街チャリング・クロス通りにある古書店マークス社に本を注文したことから始まる、心温まる書簡のやりとりである。
著者であるヘレーンと古書店に働く人々の極めて知性的な古書に関するやりとりもさることながら、当時景気の良かったニューヨークと、缶詰一つ手に入れるにも苦労したロンドンとの経済格差の中、へレーンの細やかな気遣いと、マークス社一同の深い感謝はとても美しい。しかし何より胸を打つのは、電子メールなどなかった当時、大変な時間と手間を要する国際郵便というツールで、長く温かい交流を続けたことにある。こうした根気強さを我々は持っていたのだ。便利は素晴らしいことである。しかしあれこれ思いをめぐらしつつ、ワクワクしたり不安になったりしながら誰かを「待つ」ことや、すべての情報から自分を切り離して、じっくりと相手のことを「想う」こと、そこには確かな豊かさがあったと改めて思わせてくれる。情報に乗り遅れてはいけないと躍起になるとき、我を忘れてはいけないよと優しく窘(たしな)めてくれるような一冊。
関東大震災で焼け野原となった銀座。このまま終わらせてなるものかと、バラック小屋で再開を始める小料理屋に集まる人々を描いた『銀座復興』。大災害の後の市井の人々の心理を巧みに描く。良い悪いではなく、人間は歩みを止めないものなのだ、という視点に頷かされる。規模の違いこそあれ、大災害の度、我々は案外同じようなことを繰り返している。歩みを止めないものだとわかった上で、今も昔も人間の心理はそれほど変わらないのかもしれないということをかつての小説から読み出せると、自分だけの不安がふっと軽くなり、かつての人々に励まされているような、思いがけない視界を抱ける。
(文・長塚圭史)
『クロワッサン』1025号より
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