くらし

家族の食卓にささやかな心をかける「ととのえ箸」。【 #クロワッサンの広場 】

ブログやSNSはやりたくない、でも写真と文章で表現したい。そんなあなたにぴったりの投稿企画「クロワッサンの広場」がスタート。今回は自由テーマに寄せられた詩珠さんのエッセイを紹介します。暮らしを整える、小さな心遣いとは?

ととのえ箸

「お母さん、のぶの箸はどれ?」
「それがね、……」。

何年かぶりに帰省をした日の翌朝、食事の仕度を母とする。
弟ののぶは最初の奥さんと離婚した。幼馴染みで貧しいながらも支え合い、幸次という息子もできた。
当時は別々に暮らしていた母と弟だったが、折に触れ、その奥さんに行儀やしつけ、常識など少しずつ教えているようだった。
次第にその若妻は我が家の感覚を身に付け、母によく従い、我慢をしつつもいい奥さんとなった。頭のいい子だった。

どの夫婦にも他人にわからないことはある。言葉で他人に説明してもわからないこと。そんな積み重ねでのぶは離婚した。幸次が小学校に入学して間もなくのことだった。

幸次は始めの数年、母親と暮らしたが、もともとお父さん子だったこともあり、のぶと暮らしたいと言って共に暮らすようになった。既にのぶには次のパートナーがいて、二人の間に娘もいた。
そこへ新たに母が加わり、更なるコラージュ。パッチワークどころか、異種雑多混在。のぶと二人目の妻との歳の差は優に一回りを越えており、戦中生まれの母の価値観が合致する部分などあるはずはない。

前置きが長くなったが、そんな二人目ののぶの妻と母が加わった5人家族の暮らしは、当初からぎくしゃくし、母とはうまくいかず、幸次と継母ともうまくはいかず、のぶは疲弊している。
そこに帰省した私は絵に描いたような小姑だ。身の置き所などあろうはずもないのはおきまりの情景だ。

「それがね、お箸が決まってないのよ。どれでもいいの」。
母が私に寄ってきて小声で言う。
「は? お箸が決まってないの? 毎回違うお箸? 何、それ。お箸ってそういうものじゃないでしょ?」。
私がそう言うと母は口に人差し指を当て、しーっ、と言った。

私ものぶも裕福ではないが、きちんと家族の容をなして育ってきた。食卓には定位置があり、ご飯茶碗もお箸も自分の物が与えられ、子どもの頃はお気に入りの絵が描かれたお茶碗にお箸。食事前にお箸を手に取る直前には両手を合わせて「いただきます」と言ってから食事を始めるのが習慣だった。
決まった自分だけのお箸に感謝と礼儀や整える心をこめて、命をいただく。そう育ってきた。そんな育ち方をしてきた私は、こんな食卓もあるのかと唖然とした。

それでもただでさえ鬱陶しがられる立場の小姑である私は、余計な波風は立てずに、その帰省はほどなく終えた。

それから数か月後、法事のために再び帰省をした私は、また不規則な食卓で食事を摂るのかと、思いつきの席に座った。
すると母が
「そこはのぶの席にしたのよ」と言う。
「席、決まってなかったんじゃないの?」
私が言うと
「決めたの。よくないでしょ。大黒柱が毎回うろうろして、お箸もお茶碗もなんでもいいようなお食事は」。
母が言った。
微笑む私に苦笑気味ののぶだったが、そんなところから家族を整えていくのもありかもしれない。そう思った。

人間の言葉は不思議なもので、思いや願いを口にしたり文字にすると、実現したり現実のものになったり、思いが叶うことがままあると私は感じる。

たかがお箸の置き方や、持ち方、行儀や縁起が悪いとされることをしないように心掛けることによって、気持ちがすっと整えられることがある。雑然とした食卓より、きちんと卓上を整えて気持ちも整えて摂る食事は、気持ちが清々しい。そうして食事の次に待ち構える物事に落ち着いて対峙していくのもいいのではないだろうか。少々線香くさいかと苦笑するが。

高級な食器でなくともよい。要は心掛けかと思う。当たり前のことを丁寧に見直す。時間に追われて流してばかりいるよりも心地の良い程度に生活を見直してみるのもいいのではないだろうか。お金を掛けるのではなく、時間を少し掛けて心を掛ける。
ふと、父の法事に私は父との食卓を思い出しながらの春の彼岸だった。 
ーーーー  text by 詩珠(ししゅ)

編集部からひとこと。

ちょっと複雑な事情を抱える家族が、箸をキーワードに絆を深めていくエピソード、まるで短編小説を読むような気持ちで堪能しました。
家にいる時間が増えた今、掃除や片付けに時間をかけるようになった人が実はとても多いのだそう。見た目をきれいにするだけでなく、こんな心の整え方も見直してみたいですね。(編集部のぐぽん)

おうち時間に、少しだけ長い文章を綴ってみませんか? ⇒ エッセイの投稿はこちらから!

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