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【堀本裕樹さん×アーサー・ビナードさん 対談】俳句の聖地で交わされた濃密な会話とは。

今回の対談で訪れたのは、東京・根岸にある「子規庵」。

撮影・天日恵美子 文・三浦天紗子

季語入りの標語になりさがったら、子規に申し訳ない。(ビナードさん)

アーサー・ビナードさん●1967年、米国生まれ。’90年に来日。『もしも、詩があったら』(光文社新書)ほか、著書・訳書多数。最新刊は、紙芝居『ちっちゃいこえ』(童心社)。
アーサー・ビナードさん●1967年、米国生まれ。’90年に来日。『もしも、詩があったら』(光文社新書)ほか、著書・訳書多数。最新刊は、紙芝居『ちっちゃいこえ』(童心社)。

ビナード ところで、英語では、定型詩も自由詩も俳句も含めて、みな「ポエトリー」とひとくくりなんですね。僕は高校生のころから詩を書き始め、ひょんなことから日本語と出合って、日本語でも「ポエトリー」を書きたいと思った。でも実際に日本に来てみたら、俳人、歌人、詩人が全部別枠なんだとびっくりしたのね。俳句をやる人はだいたい、短歌や詩はやらないでしょう。

堀本 正岡子規をはじめ、昔の人はけっこう、俳句も短歌も垣根なく嗜んでいたんです。実は僕も両方作っていた時期がある。そんなに細分化することないのになと思うんですよね。もっと互いに交わっていいし、そうすれば詩の世界も一層豊かになりますね。

ビナード 小説や詩より、かなり間口が広いのが俳句の魅力のひとつですね。たとえば芭蕉の句は、第一に色濃く芭蕉のものかと言えば、むしろ誰でもいつでもフリーに使える感じ。

堀本 いまビナードさんがおっしゃったことは僕にもよくわかります。普遍性というより無名性、無記名性ですね。俳句は誰かが作ったものだけど、その作者名が消えていって、詠み人知らずの十七音だけが記憶に長く残るというのが、最高の作品なんです。

ビナード ユニバーサルですよね。

堀本 まさに、ユニバーサル。「古池や蛙飛びこむ水の音」は、芭蕉の名前を外しても誰もが素直に深く味わえますからね。

言葉の表層だけでなく、事物、現象、体験をまるごと重ねる。

ビナード 思うに、堀本さんの『俳句の図書室』のように、識者が掘り下げてする解説も読み応えがある。一方では、解説などなくてもいいとも思う。

堀本 そうなんです。僕の解釈だって、その句に僕なりの光を当てているにすぎないひとつの提案ですから、各人が自由なインプレッションでその句を読み取ってくれたらいいと思います。

ビナード 少しだけですが、僕も堀本さん同様、俳句の選者をしています。俳句に親しむ人が増えるのはとてもうれしいことですが、悩ましい現実もあるんですよね。季語入りの標語みたいな俳句が多い。

堀本 季語をその句の中でどう響かせるか、どう生かすかは大事。季語は俳句の魂ですから。季語には、植物や動物など生き物がたくさんある。たとえば「飛蝗(ばった)」は秋の季語ですが、飛蝗に触れたことはあるか。手に持ってどんな顔をしているのかを観察したことはあるか、ということが大事なんです。僕は両親が熊野の出身で、子どもの頃からよくそこに遊びに行っていました。川で泳いだり、虫を捕まえたりが大好きで。そういう体験が下地になって詠んだ句に、命の輝きがにじんでくるのかなと思うんです。

窓前の座り机も、正岡子規が特注した品を再現。左脚が伸ばせなくなっていたため、立て膝を入れる部分がくり抜かれている。
窓前の座り机も、正岡子規が特注した品を再現。左脚が伸ばせなくなっていたため、立て膝を入れる部分がくり抜かれている。
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