【クロワッさんぽ】小江戸、佐原で「みりん」の意外な使い方を知る。
今回、佐原を歩いたのは……。
のぐぽん
『クロワッサン オンライン』ディレクター。戦国武将から昭和の名建築まで、ちょっと昔のものにときめきがち。旅行が趣味なので成田空港へはよく行くものの近くの佐原は初体験。若い頃にかじったカメラを最近またいじり始めました。
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小江戸としての知名度は川越に劣るものの、関東で初めて、重要伝統的建造物群保存地区に選定された古いまちなみがフォトジェニックな佐原。成田から電車で30分、東京から日帰りができる水郷の町へ、女二人でカメラさんぽに繰り出しました。
近年、複数の商家建築をリノベーションしたスタイリッシュなホテル「佐原商家町ホテル NIPPONIA」もオープンし、古民家再生を軸に新たな魅力をまとい始めた佐原。人混みも町の規模も川越にはるかに及ばない分、のんびり過ごせるのもいいところです。
歴史好きなら、誰もが日本史で習った佐原ゆかりの偉人、伊能忠敬の旧宅や記念館へ足を運ぶのも楽しいはず。
伊能忠敬といえば55歳から測量をはじめ、今から200年以上も前に精巧な日本地図を完成させたとして、最近は「人生100年時代に目指すべきスーパーご隠居」といった文脈で紹介されることも増えてきました。
江戸時代の50代っておそらく今の80代くらいの感覚なので、その年で第二の人生を始めたのも驚異的だし、しかも55歳から73歳で亡くなるまでに歩いた距離は地球一周分と、現代でいえば宇宙に行った以上の大冒険。
さらに胸アツなのが、忠敬が師と仰いだのが息子ほど年の離れた19歳年下の幕府天文方、高橋至時(よしとき)だったこと。自分よりずっと年下の若者に謙虚に教えを乞うのは特に成功したビジネスマンにとっては難しいものなのに、忠敬はまるで天文少年だった頃に戻ったように、豪商出身のキャリアを脱ぎ捨て、いち門下生となって勉学に励みます。
二人の師弟愛に関するエピソードも感動的で、病に倒れ自分よりも早く亡くなった至時の死を悲しみ、生涯、彼の墓の方向に手を合わせていたという忠敬。自分が死んだら至時の隣に埋葬してほしいという遺言通り、二人の墓は今も仲良く並んで上野源空寺に……あ、一緒に来た友人がスマホをいじり始めてしまったので歴史談義はこのへんで。
まずは誰もが楽しめる、名物「小江戸さわら 舟めぐり」を楽しみましょう!
ところでご存知でした? 忠敬が隠居した時の伊能家の財産が、今のお金に換算して約60億円だったこと。あまりの雲上人ぶりに、第二の人生のモデルに! と目標設定しようとした気持ちが一瞬萎えたことをここに白状します……。
それはさておき、莫大な財を築いた伊能家の家業といえば酒造業。実は江戸時代中期の佐原は、日本有数の酒どころ、兵庫・灘の向こうを張って「関東灘」と呼ばれ、30を超える酒蔵があったそう。
そんな醸造のまち、佐原ならではの名物のひとつが「みりん」。
中でも、1680年代に糀屋から始まったという長い歴史を持つ老舗酒蔵「馬場本店酒造」の『最上白味醂』は、160年以上も売れ続けているという超ロングセラー商品。
江戸時代からの製法を守り、国内産もち米と手造りこうじで仕込んだ濃厚な本格醸造みりんで、水郷佐原観光協会の公式サイトによれば、全国の一流料理店の評価も高く、「馬場のみりんでないといい味が出ない」とまで言われているとか。
私は佐原のとある酒屋さんで見つけてお買い上げ。
お店の奥さんに「佐原の人ならではのみりんの使い方ってありますか?」と訊いてみると、「佐原だけじゃないと思うんですが……」と断った上で、「お味噌汁の隠し味にすると美味しいですよ」と教えてくれました。
帰宅後、さっそくいつものお味噌汁に加えてみると、確かにコクが出て美味しい!
煮物を作るときぐらいにしか出番がなくつい余らせがちだったみりんの消費量が佐原さんぽ以来ぐっと増えました。
冬に水ようかんを食べる日本海側のまち、アメリカンドッグにグラニュー糖をまぶす道東、握り寿司に練からしを合わせる八丈島……よく知っているはずの食の意外な組み合わせに出会えるのも、旅の楽しみのひとつです。
名物の川下りを楽しみ、映画のセットのような江戸情緒溢れる風景をカメラでパシャパシャ、美味しいおみやげも買って大満足だったデイトリップ。
けれど夕暮れ時、小野川沿いに並ぶ飲食店に明かりが灯り始めると、ぐっと風情を増した小江戸のまちにちょっと後ろ髪を引かれる思いも。次はぜひ一泊して夜の佐原も体験してみたいものです。