【家族の病と向き合う】まさか元気な父親が? 突然の病宣告で家族はパニックに「親や自分が元気な時にこそ必要な『予習』がある」
文・小原陽子
日除けや冷え対策にも便利なシアーカーディガン
コットン100%で軽くて涼しい素材ながら、日差しや冷房の冷えからもしっかり守ってくれるカーディガン。これから暑くなる季節に持っておきたい、心強い1枚です。
いつまでも元気だと信じて疑わなかった親や大切な人に、突然の病が宣告されたら……。
編集者・立原亜矢子さんも、そんな現実に直面したひとり。動揺し、自責の念にかられる家族を救ったのは、ある医師が放った意外な言葉だったという。その実体験をもとに生まれたのが、立原さんが編集として携わった『がんは運である? 自分事として向き合うための手控え帖』だ。
「いつまでも元気だと思い込んでいた」昭和気質の頑固な父が膵臓がんになり、家族はパニックに
「一昨年のゴールデンウィークのことでした。茨城の実家には、特に帰省する予定もなかったんです。結婚してからは『盆と正月だけ顔を出せばいいかな』という距離感でしたから」
そう振り返る立原さんの胸を騒がせたのは、帰省の少し前にかかった母からの電話だった。
「なんだか様子がそわそわしていて。『お父さんが風邪を引いて体調がずっと悪いんだ』とか『急に病院に行かなきゃいけなくなったから後で連絡するね』とか。母の口から何度も繰り返される『病院』という単語に、嫌な予感がしたんです。普段はそんなこと全く思わないのですが、なぜか『今回は絶対に帰ったほうがいい』という謎の胸騒ぎがして、4月の下旬に1日だけ急遽帰省することにしたんです」
立原さんは「父は昭和のドラマを地で行くような頑固一徹な人」と話す。
「大人の私の身なりにもいちいち小言を言い、この歳になってもマニキュアを塗っていれば『爪から出血しているのか? 落とせ』、髪を金髪にすれば『不良だ、不謹慎だ』と激怒。でもその日は車に乗るなり『お前に話したいことがある。家についてから話すから』と静かに言われて。その不自然な対応に、心臓の鼓動が早まるのを感じました。
家に着くやいなや、父が食卓の後ろにある棚からサッと差し出したのは、医師の説明用の書類でした。そこには『膵臓がん』の文字。ステージは3。私はその瞬間、ただ号泣することしかできませんでした」
父の丸くなった性格と外見の変容
告知を受けた父は、驚くほど冷静に見えたという。「なっちゃったものはしょうがない。お父さんはもう治していくしかないんだから泣くな」と立原さんをなだめるほどだったが……。
「父の部屋には、いつの間にか死をイメージさせる本や余命に関する本が山のように積み上げられていました。『俺にはもう時間がない』と寂しそうに漏らす背中に、父の覚悟を感じました。それと同時に、父の性格が急に丸くなったんです。普段は言わないのに、はっきりと『ありがとう』とか『無理しなくていいよ』なんて言うようになって。それが余計に私たち家族を悲しませました」
父に対する複雑な思いも、後悔となって押し寄せたという。
「それまでは父の表面的な部分しか見えていなかった。もっとちゃんと向き合えていれば、何かしてあげられたんじゃないか……と言葉にできない後悔がこみ上げてきました。それに、父は病気になってからかなり痩せたんです。以前は太っていて組めなかった足が、スマートになって組めるようになった。いつもなら『スタイル良くなったじゃん』と言えるところですが、父や家族にとって『痩せている』という言葉は禁句。気軽に体型の話もできなくなりました。父が、これから生まれてくる私の子どものことを『成人するまで生きていられるかな』とぽつりと漏らした時は、胸が詰まりましたね……」
病院での衝突も。家族全員が出口のない迷路に迷い込んだよう
家族のパニックは病院でも続いていた。心配性の母と、生きることに必死な父との間には、時に激しいやり取りもあった。
「私の母はちょっと天然なところがあって、お医者様に『どうしたら健康体になれますか?』とピュアに聞いてしまうんです。必死な父は『俺が聞いてるんだ!』と言い合いになったりしたことも。でも、それが父の『生きたい』という意志の裏返しだったのだと思います。不幸中の幸いだったのは、父がお医者様の言うことを徹底して信じたことです。健康オタクな面があったので、薬の服用も生活習慣の改善も、仲野医師の指示には本当に従順でした」
長女である立原さんもまた、情報の波に飲み込まれていた。ネットを検索しても不安を煽る記事ばかり目につく。家族全員が「自分たちが原因を作ったのかもしれない」という自責の念という名の、出口のない迷路に迷い込んでいた。
「がんは運」という言葉との出会い
そんな立原さんを救い出したのは、以前から尊敬していた医学博士・仲野徹医師の著書にあった言葉だった。
「『がんは運である』。その一文に出会った瞬間、ふっと肩の力が抜けたんです。仲野医師は本の中でもこう説明されています。『がんになった究極的な原因は、「生きていること」と、言えてしまうのである』と。運が悪かっただけなら、もう自分たちを責める必要はないんだ。起きたことを受け入れ、今自分にできる最善のことは何なのか?と、初めて冷静になれました」
親や自分が元気な時にこそ必要な「予習」がある
この実体験を経て、立原さんは仲野医師に「家族の心の拠り所になる本を書いてほしい」と熱望した。以前からアプローチを続けていたものの、スケジュールなどの都合もあり断られ続けていたという。
「どうしても諦めきれずにお願いしました。仲野医師は、医学的な話を『難しいまま』書くことも大切にされていますが、同時に奥様が病気になった時の『離婚したあとの再婚』を心配するような、ユーモアあふれるエピソードも披露してくださるような素敵な方です。人は立場が変わらないと、見える景色が変わらないものです。親が元気なうちは病の情報を自分とは無関係なものとして素通りしてしまいます。でも、本当の『お守り』は嵐が来てから探すものではありません。凪の時にこそ、手に入れておくべきだと思い知りました」
仲野医師も、本書に寄せた「まえがき」で、自分事として備える重要性をこう記している——。
日本では、2人に1人ががんになります。これは、脅しなどではなく、厳然たる統計です。たとえ自分がならなくても、家族やパートナー、親しい友人のうち誰かは必ずなると言っていい時代なのです。だからこそ、「その時どうするか」を自分事として前もって考えておくことはとても大切です。転ばぬ先の杖といった程度のものではありません。人生にとって必須な備えです。
現在、立原さんの父は大手術を乗り越え、驚くほど元気に過ごしているという。
「悩みがある時、本を開いて著者と対話することで、『私だけじゃないんだ』と孤独から解放されてほしいんです。仲野医師も書いておられますが、本書が『いつかがんと向き合う時――それが自分か、大切な誰かかはわかりません――少しでも落ちついて考えられるように』なる手助けになれば、編集者としてこれ以上の喜びはありません」
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