からだ

乳がんを経て、篠田節子さんから特別寄稿。

篠田節子さんのエッセイと一緒に考える、がんとの付き合い方。
  • 撮影・青木和義 イラストレーション・松栄舞子 構成&文・堀越和幸

実際に患って、がんという病気に対する印象は変わりましたか?

乳がん、しかもステージ1と2の中間くらいということで、実際にあまり深刻な状態ではなかったこともありますが、明らかに変わりました。

がんというだけで人生観、死生観が変わる、というイメージを抱いていましたし、病と闘う覚悟も必要と思い込んでいましたが、実際に自分が罹患してみると、普通の病気と変わりません。「宣告」どころか、「告知」も大げさなくらい、普通の病気です。

さすがに最初に診断された乳腺クリニックの先生は、女性が乳房を失うということも含めて、極めて配慮の行き届いた慎重な態度と物言いで告知してくださったのですが、紹介された病院の乳腺外科は、「しっかり治療します、一緒に治しましょう」というスタンスで、アフターケア、心理的ケアも含めた、医師、看護師、他医療スタッフの方々の完璧なチームワークで、悲観的な気分や不安をおぼえる暇もなくスムーズに進んでいきました。

すべて標準治療で、保険診療です。

事前に検査を行い、抗がん剤、放射線治療の必要がないこともわかり、右側乳房全摘出後は、五年間のホルモン剤投与を行いました。

実は、その二年後に、絞扼性(こうやくせい)イレウスで本当に死にかけまして、生命の危機はがんに限ったことではない、別の病気でも簡単に逝ってしまう可能性がある、と痛感しました。

がんと死を短絡的に結びつけて、エビデンスに乏しい高額医療を選択する、怪しげなスピリチュアル施術に走る、といったことは、避けてほしい。特に乳がんでは、「乳房喪失」という大げさな物言いがされたりするため、必要な手術をためらう方もいらっしゃいますが、乳房と子宮が女性の証明ではありません。病気で無くしたところでアイデンティティーには無関係という当たり前の事実を忘れないでほしいと思います。

家族からはどんなサポートを受けたと感じますか?

家族は夫一人ですが、どこの病院で治療を受けるか、手術の様式、再建の有無などなど、患者本人が意思決定する場面では、常に冷静で終始リラックスした態度で、相談に乗ってくれました。おかげで最善の選択ができたと思います。通院の付き添いや入院中のあれやこれやで、全面サポートも。

また親類たちも、庭の花を携えてお見舞いに訪れてくれたり、眠れない夜に深夜のメールやLINEに付き合ってくれたことがありがたかったです。

不安だったこと、周囲や友人から励まされたことー。

不安は感じないまま、治らない場合のことも考え、緩和ケアの希望と延命治療の拒否の意思を文書化しました。

年齢的なこともあり、死そのものへの怖さはありませんが、術後、痛みや重苦しさが数カ月続いたときは、心配ないとわかっていても、ずっとこの痛みと違和感が続くのかと不安はありました。ところが七、八カ月したら痛みは自然に消えていました。

メディアが取り上げるのは、がんで亡くなった方のことが多いのですが、周囲には、乳がん経験者が意外に多くて、みなさんピンピンしています。そうしたがんサバイバーの方々から、告知の後に電話やメールなどで励ましと貴重な情報をいただいたことは、本当に感謝しています。手術前日にそんな友達の一人が病室を訪ねてくれていろいろ話したことは、忘れがたい思い出です。

また友人、知人に、この病気についてはオープンにしましたので、医療関係者や病院について詳しい方から、たくさんの有用な情報をいただきました。自身の病気、特にがんについては、なるべく伏せたいと思うのが人情でしょうが、それなりの知見と常識を備えた方が相手であれば、男女を問わず意外なくらいに頼りになるもので、後に自分が相談される立場になったときには、こんな形で支援する側に回りたいと思っています。

自身の体の声を聞く姿勢は以前と変化しましたか?

変わりましたが、がんに罹患したから、というよりは、歳を取ったから、と言った方がいいかもしれません。

若い頃は意図的に無視して意気がってるところがありましたし、認知症の母の相手をしていたときは、自分の体調など気にしている暇もありませんでしたが、これはやってはいけませんね。

大病のサインを見逃すということもありますが、昨今「心を病む」とか、「メンタルをやられる」と、いとも簡単に口にする方がいますが、心やメンタルの不調の根っこには、身体的な問題が潜んでいるのではないでしょうか。そろそろ寝ろ、とか、立ち上がって動け、とか、水分を取れ、とか、酒はそのくらいにしておけ、とか体はちゃんと正しい命令を下しているのに、無視したりバカにしたりしていると、その命令をちゃんと聞いて理解する能力が失われてしまうんですよね。それが原因で心身ともに病んでいくという気がします。自分の体には敬意を払って、ちゃんと言ってることに耳を傾けようね、と思います。

篠田節子 さん (しのだ・せつこ)

小説家

東京都生まれ。1990年『絹の変容』で小説家デビュー。’97年『女たちのジハード』で直木賞を受賞。近刊には『ドゥルガーの島』が。

『クロワッサン』1104号より

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