「音楽を書く。最初は難しいかなと思いましたが、実際に書いてみると意外にしっくりきた。演奏者の心理は小説でないと描けない部分だし、映像でなく文章だからこそ、読み手がそれぞれの音をイメージできる。音楽と小説は実は相性がいいみたいです」
ストーリーは、4人の出場者の演奏と心の葛藤を軸に展開する。圧巻なのは、音の表現の多彩さ。海のような音、雨のしずくのような音、極彩色の音、明快で穏やか、しっとりした音、素朴なのに官能的で、煽情的ですらある音──。私たちの頭の中には、不思議と、抽象的ながらクリアな音の印象が浮かんでくる。そして、1次予選から3次予選、本選と進むなかでも、読者を退屈させることがない。
「予選から本選まで書くということは、同じ人物の演奏を何度も書かなければならないということ。三次くらいが一番きつかったですね(笑)。演奏者の視点、聞き手の視点、演奏者が曲を自分のものにするまでの過程……。あの手この手で表現を絞り出しました」
なかでも、優勝候補マサルの三次予選の曲目、リストの「ピアノ・ソナタ ロ短調S.178」の描写は緊迫感と疾走感に圧倒される。