夫の認知症を、できるだけ隠さないで、さらけだして生きていこうと思っています。
撮影・岩本慶三 文・篠崎恵美子
【正行さん・久子さん夫妻】
千葉県在住。久子さんは、ライターとして様々なジャンルの媒体で取材・執筆をつづけ、現在はジャズシンガーとしても活動中。正行さんは音楽関係の出版社を経て精密測定機器製作の会社に勤務。プログラム開発等を行っていたが、8年前、認知症に。
海辺をゆっくり散歩したあと、ハマグリとイワシの丸干しを焼いて、お昼ご飯を楽しんだ正行さんと久子さん。
「お義兄さんの家に寄っていかない?この間下漬けした梅干しの水が上がっているかどうかも見たいし…」と、久子さんが誘うと、「いいね」と正行さんも嬉しそう。
正行さんの介護認定は「要介護1」だ。
久子さんが仕事などで家を空けるときは民間のヘルパーを頼んでいる。
「本当は介護保険で国の安いサービスを頼みたいけれど、1回につき2時間までとか、必ず家族が受け渡しをしなくてはいけないとか、使いづらいんです。だから結局高いお金を出して民間に頼むしかない」
だいたい1時間2,000円で、1回につき4〜5時間頼んでいる。ヘルパーは、正行さんを見守りながら、ご飯の支度や掃除をしてくれる。
「ヘルパーさんを見ていると、日本の60〜70代の女性ってすごく優秀な人が多いんだなと思います。料理はできるし、掃除も手早い。主婦というのは、ものすごいスキルを持っているんですよね。それを社会が認めていない」
正行さんの診断名は、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、嗜銀顆粒性認知症…ところころ変わってきたが、今はほとんど薬を飲んでいない。
朝に感じる背中のぞわぞわとした気持ち悪さは続いているけれど、いっときより随分良くなっていると久子さん。
「何年か前は出かけるとなると電車の中でも落ち着かなくて、すごい頻尿になっちゃって」
何度も降りてトイレに行って、目的地に着いてからも10回くらいトイレに行く、というような状態から比べるといまはずっと良いそうだ。
夫をひとり家に置いて出かけられないため、できるだけ一緒に出歩くようにしているという久子さん。久子さんは月に数回、ライブハウスでジャズを歌っているが、そこにも正行さんを極力誘っている。
「歌が好きで、大学で音楽を勉強したのですが、卒業後は出版にも魅かれ、さまざまなジャンルの雑誌や書籍の編集・ライターの仕事をしてきました。自分が歌うことは忘れていた感じ。でも、10数年前、たまたまコニー・エヴィンソンのCDが職場にあって、聴いたらこんなさっぱりした歌なら歌ってみたいなと思ったんです。ジャズはしかめ面して聴くイメージがあったんですけどね」
ミュージックスクールのグループレッスンに通ったらメキメキ上達して、プロの歌手から「前座にぜひ」と声がかかるまでに。さらにプロたちとのセッションで磨きをかけ、いまでは定期的にステージに立つようになった。
何年か前までは、ひとりでライブを見に来ていた正行さんだが、最近はそれもできなくなり、ヘルパーさんと一緒に家で留守番をすることも多くなった。
「でもね、事情を話したら、ライブに来てくださるお客様が、彼も連れてくればいいじゃない、と言ってくれて、とてもありがたかった。最近はできるだけ一緒に行くようにしています」
ーー久子さんの歌はいかがですか?
「まあ、普通ですね」と正行さんはクール。
「でも誰のものであっても音楽を聴くのは楽しいです」と付け加えた。
「こうやって会話していると普通でしょ? でもさっき話したことはもう忘れているんです」と久子さん。正行さんが黙り込んでしまったときは、久子さんが決まって言う言葉がある。
「きょうも1日喜んで生きていこう!」
手を上げながら元気よく。何度か言ううちに正行さんの顔に表情が戻ってくる。
調子が悪いのも、苦しいと感じるのも、生きているからこそ。だからすべて喜んでしまおうと久子さんは言う。「けっこう、心に効くんですよ。おまじないみたいなものかな」
時折、鼻歌を歌いながら、畑の作物をチェックする久子さん。楽しげな様子に正行さんのこころがほぐれていくのがわかる。2人を見ているとべったり、ではないけれど、そっけない感じもしない。
「きっとさらけ出すことがすごく大事なんだと思う。普通こういうことって他人に言いたくないじゃないですか。自分だけでなんとかしようと思っちゃうんじゃないかな」
人に迷惑もかけるかもしれないし、面倒くさいと思う人もいると思うけれど……。友だちと食事するとき、気心しれた仕事仲間との打ち合わせのときも「夫も一緒でいいですか?」と言うようにしていると久子さん。ライブのお客さんも友だちも「いいよ、連れておいでよ」と言ってくれる。
「できるだけ隠さないで、これからもやっていこうと思います。みんなも認知症を知るいい機会になる(笑)。あぁ、こういうふうになるんだなーって」