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小さな家で大きく暮らす。故・永田昌民さんの自宅へ。

  • 撮影・雨宮秀也 文・嶌 陽子
大きなダイニングテーブルがこの家 の主役。皆がここに集まる。太陽熱を利 用したOMソーラー搭載の家は、冬でも暖かい。

開け放たれた窓から、気持ちのいい秋の風が入ってくる。

「風が本当によく通る家です。夏でも、エアコンをつけるのは数えるくらい」

13年間、この家に暮らしている永田佑子さんが、そう教えてくれた。2013年に他界した佑子さんの夫、建築家の永田昌民さんが、東京・東久留米市にこの家を建てたのは2003年。それまで30年近く暮らしていた家を、事情により出なければならなくなったのがきっかけだった。

以前の家も、夫による設計。日本のモダニズム建築の第一人者、吉村順三門下で学んだ昌民さんがつくったのは、居間と食堂、寝室が全てつながった、シンプルなワンルーム型の平屋だった。後に2階を増築し、親子4人で生活。各部屋が細かく仕切られている家が主流だった当時、佑子さんはどう感じていたのだろう。

食堂とひと続きの居間。飾 り棚に、佑子さんが集めた小物が並ぶ。

「子どもが小さかった頃は、どこにいても目が届くから安心でしたよ。それに、私は寝室でもどこでも、お客様に見られたって平気な性格。不便さは特に感じませんでした」

佑子さんの、このおおらかな性格があったから、個性的な家で、家族が長年楽しく暮らせたのだろう。現在の家が完成した時、夫妻は60歳手前。次女はすでに独立していたため、長女と3人で引っ越した。合計85㎡ほどの2階家は、1階が居間と食堂、台所、2階が寝室と浴室、と分かれてはいるものの、「前の家との違いはあまり感じなかった」と佑子さんが言うとおり、やはり部屋を細かく区切らない、ひとつの箱のような空間だ。

5年ほど前には長女が家を出て行き、夫婦ふたり暮らしに。そして、3年前に夫を亡くし、現在は佑子さんが1人で暮らしている。

「1人になっても、広すぎると感じることはないですね。どこに何があるか把握できるし、掃除も行き届くから、精神的にも楽。友だちにも『小さい家っていいわよ』って勧めています」

3人住まいだった頃を想像しても、窮屈だったとは決して思えない。コンパクトで動きやすいと同時に、のびのびとした、開放感のある空間だ。風の通り道を綿密に計算して設けられた窓、小さな空間でも広く感じられるように、あえて低めにした天井。無意識に心地よいと感じられる仕掛けが、いくつも施されている。この家は、名建築家、永田昌民さんのモットーだった「大きな暮らしができる、小さな家」そのものだ。

新しい家への唯一の要望は「草花も一緒に引っ越すこと」。

広々とした雰囲気を生み出している、もうひとつの大きな要素は、家を取り囲む草木の数々。1階のデッキに置かれた山野草や、2階の寝室テラスから手が届きそうなヤマボウシの木。200種類以上はあるという植物に囲まれた家は、外との境界が緩やかで、実際以上に広く感じられる。

実は、これらのほとんどが、植物好きの佑子さんの希望で、前の家の庭から、そのまま持ってきたものだ。

「私は、『庭と一緒に引っ越せるなら、家はどうでもいい』って言ったの。間取りやつくりに関しては、一言も口出ししませんでした。家は、完成して初めて見たくらいですから」

造園家の田瀬理夫さんに依頼し、前の庭に育っていた草花を表土ごと、新しい家に移植した。圧巻は、公道から家屋へと続く15mほどの小道。いわゆる「旗竿敷地」である土地の「竿」にあたる部分を、佑子さんが長年大切にしてきた山野草で埋め尽くしたのだ。月日が経つにつれ、草木は成長し、今や緑のトンネルのようになっている。

「昔の永田は、植物といったら、松とチューリップぐらいしか知りませんでしたよ(笑)」

そう佑子さんが振り返る夫が、やがて「外とのつながりを重視し、自然を生かす家づくり」を信条とするようになったのは、佑子さんと、佑子さんがつくった庭の影響が大きかったはずだ。

2階浴室の壁はサワラ材。窓を開 けておけば、カビも生えない。

『クロワッサン』937号より

●永田佑子さん 校正者/1971年、永田昌民氏と結婚。校正の仕事の傍ら、国内外への植物観察に多忙な日々。ブナ林の保全ボランティアにも取り組み中。

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