「不惑」への道のり。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」
40代も半ばに差し掛かり、「不惑」という言葉の意味を少しずつ理解しつつあるように思う。
最近感じるのは、今の自分は「不惑」に繋がっていくであろう「諦め」のお年頃なんだと思う。上手に様々なことを諦めていければ、年相応の「不惑」にも繋がっていくように感じている。
ただ、「諦め」るためには、それまで諦めず頑張ってきたことがある、ということが大前提で、いかに大きな「諦め」体験をするか、ということは、諦めずに積み重ねてきたことの厚みがあることが肝。「諦め」という英断の後には、その厚み分の余裕を手に入れるということ。大きな選択肢の1つを手放すことで、得られる「不惑」は潔くマチュアであることが想像でき、「諦め」前に厚みの足らない部分は、今、少しでも積み重ねて厚くし、「諦め」る準備もしていかなければならない。ちなみに、今、私が諦める前にもがいているのは「趣味を持つ」ということ。
趣味を持って豊かな日々を過ごすことは素晴らしいことだ。身近な人が趣味を楽しんでる姿を見ると、当然自分も、そんなキラキラした時間を持ちたいと考える。でも私には趣味と言えるものがない。料理もスキーも楽器も色々試してみた。一瞬はキラッとするのだけれど、キラキラが持続することはなかった。そんな自分がとても面白味のない人間に見えて落ち込んでばかりいた。
諦めることが前提で、今も趣味を探している。すでにどこか気負いがなくなり、たとえ、お試し期間が長続きしなくても「それでいい」と思えるようになっている。完全に諦めるまではまだ少しオマケの期間だと思って、思いっきり挫折しよう。
いくつもの「諦め」の後に手に入る「不惑」が今から楽しみで仕方ない。
束芋(たばいも)●現代美術家。4月末よりポーラミュージアムアネックス等で個展を開催予定。
『クロワッサン』995号より
広告