『岬』著者、柴田 翔さんインタビュー。「世界の形は決まっていない、ゆらいでいる」
本撮影(P.86〜89)・黒川ひろみ
撮影・谷 尚樹
岬にある一軒家。妻を亡くしてひとりそこに住む老人は、家の整理をしながら戸棚の奥に、遠い昔、自分が戦地で使っていた旧軍用の双眼鏡を発見する。
「——じいじ、双眼鏡、持ってたの? それ、双眼鏡でしょ」
近くの小都市に住む娘の未知子は折に触れて二人の子どもを連れ、父の道夫の様子を見にくる。
「そうだよ。覗いてみるかい」
「うん」
じいじの手がそっと支える重い双眼鏡、孫・光比古の見る向こう岬には無数の黒い海鳥が乱舞する。
本作は、’60年代、’70年代の学生たちを心酔させた作品『されどわれらが日々——』『贈る言葉』をものした、柴田翔さんの久しぶりの小説である。
「ごく若い頃は小説もそれなりに書いていて、それから教師の仕事(大学)が忙しくなって、50歳を過ぎたらまた書こうと思っていたのですが、なかなかそういかず……」
そして、いよいよ大学を退官する60を迎えたら、今度は自身の専門テーマであるゲーテ研究をまとめたくなった。
「というふうに月日は流れていったのですが、ある日、同期の文芸評論家・松本道介から、あいつは最近何も書いてないから自分たちの同人誌に何かエッセイでも書かせよう、と声をかけられた」
目の前で海に葬られる、 双眼鏡の意味。
その時に頭に浮かんだのが、敗戦後まだ間もないころの自宅に実際に転がっていた、旧軍用の双眼鏡とその革ケースだったのだが、エッセイの締め切りを先延ばしにしているうちに、やがてそのイメージは小説へと膨らんだ。
物語は岬の家で双眼鏡が見つかるところからはじまって、その数十年後、未知子の夫・邦彦によってそれが今度は海に沈められる、というところで閉じる。
〈人生は、どうすることもできない事柄で満たされている〉
の言葉どおりに移ろう時。
「最初から全体の筋を考えていたわけではない。どこに行きつくか、自分でもわかっていなかった」
大学生になった光比古の突然の事故死、近親相姦を匂わせる妹・千穂との関係、さらには若き日の未知子の逸脱の記憶……。
「人間の共同体には約束事がたくさんあるけれど、ひとの生の深い幸せのために、それがどれほどのものなのか。書いているうちにそんな思いが出てきました」
物語のモチーフとなる双眼鏡は、道夫の形見であり、じいじを慕っていた光比古の形見でもある。手元に残しておきたい、と主張する千穂の目の前で邦彦はそれを海に葬るが、そこに読者は彼の核心を見るにちがいない。事実と真実のあいだにゆれる生の不可知な部分、我々はそれをどうにもできないし、またどうすべきものでもない。
「そうであったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。世界も生も決まった形でなく、ゆらゆらしているものだと思う」
時は過ぎ、物事は変化し、なお人の幸せとは? 柴田文学の新たな境地がここにある。
『クロワッサン』993号より
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