くらし

イギリスの田舎町を舞台に 本と過ごす時を豊かに描く。映画『マイ・ブックショップ』

  • (文・東 直子)
2017(C) Green Films AIE, Diagonal Televisi SLU, A Contracorriente Films SL, Zephyr Films The Bookshop Ltd.

引っ越しをして新しい町に着くと、私はすぐに本屋さんを探す。本屋さんと家との距離が、その町での行動範囲を決定した。一度、徒歩圏内に本屋さんがない地域に越したときは、バスに乗って本のある町に出向き、定期的に買っている漫画雑誌と共に、いろいろな本を物色するのが何よりの楽しみだった。

本屋さんの棚には、自分の知らない世界がぎっしり詰まっている。一歩足を踏み入れると、不思議な高揚感と緊張感に包まれた。『マイ・ブックショップ』を観ると、あの感覚がまざまざと蘇ってくる。時代も国も違うけれど、とてもリアルに。

ヒロインのフローレンスは、イギリスの港町で、それまで町になかったブックショップを開くことを決意する。だが、保守的な田舎町での新規事業はなかなか順風満帆とはいかず、大変な目に遭う。それでも決してパニックになることなく、事実を噛み締め、ゆっくりと悲しむ。その冷静さが、とても好ましい。

心を落ち着かせるように、フローレンスは本を読む。海のそばの草地で、ベッドの上で、床の上で。その合間に映し出される味わい深い風景には、いつも風が吹いている。風にそよぐ野草や髪や布が、揺れる心を代弁する。

フローレンスの書店の運営に難色を示すガマート夫人(右)。
小学生のクリスティーンは店のスタッフとして奮闘する。

彼女は、最愛の夫を十六年前に戦争で亡くしている。大きな喪失を抱えながら、心を立て直していく物語でもあるのだ。本の中に刻まれた、誰かの心を投影したテキストを支えにして。そして、誰かの心の支えとなるテキストに出会うための場所として、ブックショップを心をこめて整えていく。

映画の中で、新しい本として登場するブラッドベリの『華氏451度』や、ナボコフの『ロリータ』の存在が印象的である。

大きな戦争が終わり、新しい時代が欲する物語が浸透し始めたことを実感させるこの二冊に、本屋の視点で光が当たる新鮮さ。さらに、孤独な読書家の老人ブランディッシュ氏と、読書は好きじゃないと言い放つ少女クリスティーンの、異なる世代からのアプローチが、映画の、ひいては本というものの奥行きとなっていたように思う。

人嫌いで引きこもりのブランディッシュ氏の唯一の趣味は読書。

それにしても、すべてが手作りだった時代のカラフルな衣類のなんと可愛いことか。おかげで娘心が目を覚まし、あのときのあの本も今すぐ読みたい!と胸が騒ぐのでした。

『マイ・ブックショップ』
監督、脚本:イザベル・コイシェ 出演:エミリー・モーティマー、ビル・ナイ、パトリシア・クラークソンほか 3月9日より東京・シネスイッチ銀座、恵比寿ガーデンシネマほかにて全国順次公開。
http://mybookshop.jp/

東 直子(ひがし・なおこ)●歌人、作家。最新刊に穂村弘さんとの共著『しびれる短歌』(ちくまプリマー新書)。小説、エッセイも多数。

『クロワッサン』992号より

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