『日本のヤバい女の子』著者、はらだ有彩さんインタビュー。「“女の子”たちがゆるく励ましあえたら。」
撮影・土佐麻里子
かぐや姫、織姫、おかめ……、昔話に出てくる21人の“女の子”たちの「本当の気持ち」を、まるで友だちと喫茶店でおしゃべりをするかのように、同じ視座で、あれこれ想像して描いたのが本書。最初に断っておくと、タイトルの“ヤバい”は本質的には褒め言葉。
「ヤバいって、とても素晴らしいとか関わりたくないほど厭とか、様々な意味を孕んでいて、ポジティブにもネガティブにもなりうる。でも最終的にはヤバいならヤバいでいいじゃん、そのまま楽しく暮らそうよ!という思いがあります」と、はらだ有彩さん。執筆の経緯について次のように語ってくれた。
「社会人になって初めて、女性であるがゆえの生きづらさに直面したんです。いわゆるセクハラですね。信頼していた仕事相手が、ホテルの部屋へおいでよ、なんてことを気軽に言う。今の時代でこの調子なら、昔はどうなんだと思って調べ始めたのがきっかけです」
たとえば、古文の授業でもおなじみ、虫愛づる姫君。自分に仕える女房たちにも、勝手に言い寄ってくる男にも、いい大人が化粧もしないなんてと非難されてしまう。大好きな虫の飼育についても当然理解など得られず、〈賢しらぶってマジきつい〉と嘲笑される始末。
「私だって当時の価値観で女房として働いていたら言ってしまうかも。そんなの気にしないで、好きなようにできたらいいのに、って現代の私は思えますけれど」
一方、物語のキャラとしての役割が“女の子”に押し付けられているケースにも思い至ったそう。
「今コンテンツとして残っている話は、誰かが世間にこう思わせたいと手を加えた結果かもしれない。浦島太郎は時間についての教訓がある物語で、乙姫は太郎に老化促進効果のある玉手箱を渡したひどい人と思われがちですが、彼女は太郎が来る前から海の底に住んでいて、彼が帰った後も、そこで生活し続けていくわけですよ」
はらださんは乙姫をこう想像する。同棲を解消して出ていく男を見守りながら、〈どうか、一緒に過ごした時間を浪費だったと思わないでほしい〉と願う女として。
「どの登場人物も本当はいろいろ考えていたことがあったんじゃないか、と妄想して書きました。何が事実だったかなんて、もはや確認しようもないですけど」
こうして、はらださんは昔話から生身の人間を抽出し、私たちに紹介してくれた。きっと抱えきれない思いを共有できる、かけがえのない友が新しくできるはずだ。
柏書房 1,400円
『クロワッサン』981号より