鹿児島の風土と人の手間が、麹と玄米を滋味豊かな黒酢に育む。
撮影・清水朝子
鹿児島県霧島市福山町。目の前に雄大な桜島と錦江湾を望む山の中腹で、その黒酢は育てられている。近年の健康ブームでその名を全国区のものとし、健康食品などにも多用される福山黒酢。どのように造られ、どのように生活に浸透しているかを知るため、1805年創業の老舗黒酢メーカー「重久盛一酢醸造場」を訪ねた。
訪れた5月中旬は、仕込みの最盛期。ずらりと約1万5000個のかめ壺が並ぶ“壺畑”の一角にある110個が、今日の仕込みの対象だ。
「黒酢は、かめ壺の中で自然の力だけで造られます。麹、玄米、水が合わさることで糖化発酵、アルコール発酵、酢酸発酵という3つの発酵が順番に起こり、熟成されていきます。ここ、福山は3方向を山に囲まれ、年間を通して温暖な気候のため、黒酢の熟成にもってこいなんですよ。とはいえ麹の出来や天候によって、1年で熟成されるものがあれば、3年経っても未熟なものもある。じっくり見守るのみです」
教えてくれたのは、かめ壺商品管理課課長の坂元淳二さん。この道20年のベテラン杜氏だ。坂元さんが言うとおり、かめ壺の中身はいたってシンプル。だからこそ、自然の力でたった3つの原料が琥珀色に輝く一滴になっていく過程は、神秘としか言いようがない。実際のところ、熟成については科学的に解明されていない部分も多い。
「材料の中で、最も大事なのが麹。この麹作りに最大のコツがあり、『麹を寝かせる2〜3日で、酢のすべてが決定してしまう』と言われるほどです。手に広げてふわっと胞子が飛ぶほど、いい麹なんですよ」
総勢8名ほどの杜氏たち各々が、壺の一番下に入れる下麹をバケツから移すと、辺り一面に黄色い胞子が舞い、霞がかった幻想的な光景が広がった。
彼らの額には、汗が光る。山の麓にある工場から1個あたり9kgにもなるバケツに入っている麹や玄米を1つずつトラックに積み込み、壺畑へ運んでは、荷下ろすのは重労働だ。地下水も巨大なコンテナに入れて、麓から運び入れる。そのためか、杜氏たちはみな真っ黒に日焼けし、身体は引き締まっている。仕込みは春と秋の年2回で、春の仕込みは6月には終了するが、仕事はそれだけではない。夏場はほぼ毎日、冬でも週に2〜3回は、かめ壺を1つずつ攪拌しなければならない。
「一般的なお酢は、タンクの中で3カ月程度で造られますが、黒酢は最低でも1年。毎日目をかけて、こまめに刺激を与えてやっと、いい黒酢になります。子育てと同じ感覚ですね」
杜氏たちの手間暇と自然の力、この2つの偉大さを知ると、黒酢がさらに貴重なものに感じずにはいられない。