【和多利月子さんインタビュー】父親が語る祖父の冒険譚が楽しみだった。『明治の男子は、星の数ほど夢を見た。』
夢見ることで世界は広がると伝えたい。
撮影・森山祐子
現在のトルコ共和国に親日家が多いのは、1890(明治23)年、和歌山県沖での軍艦エルトゥールル号遭難事件がきっかけだとされる。付近の住民が総出で救助にあたり、国も多大なる支援で生存乗員を母国へ送り届けるなどし、民間からの義捐金もかなりの額に。自ら義捐金を集め、当時のオスマン帝国に持参。皇帝に謁見して気に入られ、10年以上彼の国に滞在し、皇帝のために貿易を行った男が本書の主人公、山田寅次郎だ。
著者の和多利月子さんはその孫で、寝るときに父親が語る祖父の冒険譚を楽しみにしていたのだそう。
「アラビアンナイトですよね。日本の珍しい鳥を生きたまま運んだり、皇帝の趣味の大工道具を誂えて献上したり。私自身は祖父に会ったことがないので、なんておもしろい人なんだろうと小さなときから興味津々でした」
幕末生まれの寅次郎、2歳のときに明治維新が起こり、15歳で茶道宗徧流の跡取りとして養子に入る。東京薬学校(現・東京薬科大学)を卒業後は英仏独中の語学を学び、エルトゥールル号遭難事件に際し24歳でトルコへ。
「イスタンブールは人種のるつぼで、当時寅次郎が著した『土耳古畫觀(トルコがかん)』には様々な国の文化が入り混じっている様子が描き出されています。見るもの聞くもの知らないことばかりで、好奇心の塊だったんじゃないでしょうか」
帰国した寅次郎は製紙会社を起こし、実業家としても成功を収める。また宗徧流の家元を襲名するなど終生チャレンジ精神を貫いた。
「幸田露伴の小説のモデルになったり、身内ながら本当に魅力的な人物です。寅次郎を研究した学術書はあるのですが、親しい者として、寅次郎の人生をひとつの形にまとめて残したいとずっと思っていました。明治時代にはいろんな変革があり様々な人が活躍しましたが、市井の人である寅次郎もまたその一角に存在していたのだと」
和多利さんには、この本をぜひ手にとってもらいたいと思う読者がいるのだという。
「とくに若い人たちに。今って、将来をどう生きたらいいのか悩む若い人が意外と多いと思うので、こんな生き方もあるんだよ、と。何をやっちゃいけないとか決めつけないで、ときには思いつきを行動に移すことで開けることもあるんだと伝えたい。私を含めて、みんな、今、胸に抱く夢はあるのかしらと。夢見ることで広がることもあるんだよ。そんな思いで、このタイトルをつけました」
産学社 2,800円
『クロワッサン』968号より
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