ノンフィクション作家の澤地久枝さんに聞く、生き方を決めた一冊。
撮影・青木和義 文・寺田和代
2階建ての自宅の2階、約10畳の広広とした仕事部屋と、ほぼ同じ面積の地下1階の書庫にいっぱいの本。「何冊かって? 数えたこともありません、多すぎて。一人ではもう手に負えなくて、学生さんたちに整理を手伝っていただいたこともあるのよ」
凛とした立ち姿、張りのある声。「9月になれば87歳よ」という年齢がとても信じられない澤地久枝さんは、そう言って涼やかに笑った。
「いろいろな本を読んできたなかからやっぱりこれが〝人生で出合った一冊〟と選んだのは、五味川純平さんの『人間の條件』です。私はこれまでに、たとえば『チボー家の人々』のような大河小説、あるいは中国大陸を舞台にした多くの名著で知られるアグネス・スメドレー、エドガー・スノーといった優れた書き手に影響を受けてきましたが、魂を揺さぶられ、人生を導かれたという意味ではこの本以外にありません」
出合いは20代後半、雑誌『婦人公論』の編集者をしていた頃だ。
「当時の私は、どうすれば良心的な仕事ができるかと悩みながら、ただ懸命に働いていました。たまたま目にした週刊誌の〝隠れたベストセラー〟という企画で、評論家の臼井吉見さんが『人間の條件』を〈全6巻を読み終えた時に大団円という言葉が自然と頭に浮かんだほど見事なラストシーン、かつそこに至る深淵な魅力をたたえた物語〉というふうに紹介された文章が心に響き、ぜひ著者の五味川さんにお会いして原稿をお願いしようと。すぐにご本人に手紙を書きました。お会いする前日の朝から一昼夜ぶっ通しで、あまりの残酷シーンは飛ばし飛ばしでしたが、全6巻を読み通しました」
『人間の條件』は戦後、中国から引き揚げた五味川さんが自らの従軍体験をもとに1955年に発表した長編小説。日本が侵略した中国東北部(満州)を舞台に、一兵卒だった梶とその妻、美千子のドラマを軸に、軍隊や戦争の姿を透徹したリアリズムで描き、1300万部を超える大ベストセラーになった。
「言葉にならないほど衝撃を受けました。朝方読み終えて仮眠した時、うなされたことを覚えています。これほど懸命に生きた人間の果てはこれか、と」
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